全米女子オープンの韓国勢は3人から35人へ 朴セリの一打を後輩が同じ場所で再現した
GOLF DNA編集部🌐

3行まとめ
- 1998年の全米女子オープンに出場した韓国勢は3人。
- 2011年には35人になった。
- 翌2012年、ユ・ソヨンは朴セリが1998年にショットを打った同じ場所に入り、その場面を再現した。
2012年5月22日、ユ・ソヨンは朴セリが1998年の全米女子オープンでショットを打ったのと同じ場所に入り、その場面を再現した。
なぜ、14年前の場所に自分も立ったのか。
USGAの取材でユは、1998年以前の韓国ではゴルフは有名なスポーツではなく、朴の優勝が転換点になり、自分がここにいる理由だと説明している。
3人だった大会に、13年後は35人
USGAによると、朴が優勝した1998年の全米女子オープンに出場した韓国勢は3人だった。2011年大会では35人まで増えている。
さらに2012年5月時点で、朴の1998年優勝以降に韓国選手が獲得したUSGA選手権は17。うち4つが全米女子オープンだったとUSGAは記録している。
ここは数字の範囲を分けて見る必要がある。3人から35人という比較は、全米女子オープンの出場者数であって、LPGAツアー全体の韓国選手数ではない。
一方、USGAが2016年に朴の歩みを振り返った記事では、1998年の全米女子オープン優勝時、LPGAツアーで韓国選手は朴ひとりだったとされている。
「見た選手」が、同じ大会を勝った
人数の変化だけでは、朴セリが後輩に何を残したのかまでは分からない。そこを具体的にするのが、選手自身の言葉だ。
チェ・ナヨンは1998年の全米女子オープンをテレビで見て、いつか同じ舞台に立ちたいと夢見たと振り返っている。そして14年後の2012年、全米女子オープンを制した。
同じ2012年には、ユ・ソヨンが朴の1998年のショットを同じ場所で再現している。ひとりの選手を見た後輩が、その大会を自分の目標として語り、実際に同じ舞台へ進んだ。ここには「影響」という言葉だけでは薄くなる具体的な行動が残っている。
朴セリだけで韓国女子の隆盛を説明しない
もちろん、韓国勢が増えた理由を朴セリの1勝だけに求めることはできない。今回確認したUSGA資料は、他の要因を切り分けて因果関係を測った研究ではない。
それでも確認できることはある。1998年の全米女子オープンを後輩たちが自分の原点として語り、実際に同じ大会を目指した。そして同大会の韓国勢は、1998年の3人から2011年の35人へ増えた。
朴セリの影響を見るなら、「一人が国を変えた」と大きくまとめるより、後輩が何を見て、何を語り、どの舞台に戻ってきたのかを追う方が輪郭ははっきりする。
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