3人が落雷で搬送、1人は戻って4位タイ 1975年ウエスタン・オープン
GOLF DNA編集部🇺🇸
3行まとめ
- 1975年のウエスタン・オープンで、3選手が落雷に遭い病院へ運ばれた。
- 2人は13番付近、もう1人は4番。
- ジェリー・ハードだけが競技に戻り、4位タイで終えた。
1975年のウエスタン・オープンで、リー・トレビノ、ジェリー・ハード、ボビー・ニコルズの3人が落雷に遭い、病院へ運ばれた。トレビノとニコルズは棄権。一方のハードは競技に戻り、4位タイで大会を終えた。
優勝したヘイル・アーウィンとの差は5打。驚くのは成績だけではない。3人は同じ場所で被害に遭ったわけではなく、雷が落ちたとき競技はすでに中断されていた。
13番付近の2人と、4番の1人
舞台は6月27日の第2ラウンド、米イリノイ州のバトラー・ナショナル・ゴルフクラブ。大会の公式記録集にも、トレビノ、ハード、ニコルズが落雷に遭ったと残る。
ハードが後年の取材で振り返ったところでは、雷雨の接近で競技が中断されたあと、同組の選手はクラブハウスへ避難したが、トレビノとハードは13番グリーン近くの湖畔に残り、傘を持っていた。別の場所にいたニコルズも落雷に遭った。1977年の米紙の回顧記事では、ニコルズは4番、トレビノとハードは13番にいたと記されている。
つまり、3人がひとかたまりで一本の雷に打たれた、という話ではない。離れた場所で同じ雷雨の被害を受けた。
病院から戻ったハードの4位タイ
ハードは大会が再開した日曜日に競技へ戻った。公式記録の最終成績は通算288ストローク、4オーバーの4位タイ。アーウィンの優勝スコアは283ストローク、1アンダーだった。
落雷後に戻って5打差の4位タイ。結果は際立つが、本人は後年、背中の不調によって持ち球を打ちにくくなったと語っている。ただし、その後の身体の問題をすべて落雷のせいと断定はできない。トレビノについて当時の取材は、医師が既存の背中の損傷に言及し、落雷による悪化の可能性と原因そのものとを区別したと伝えている。
中断の合図が出ても、避難は終わらない
この事故では、競技が止まっていなかったから選手が危険にさらされた、という説明は正しくない。中断後も屋外の湖畔に残っていたところを落雷が襲った。
現在のゴルフ規則5.7aでは、選手が雷の危険を合理的に感じた場合、自らプレーを止め、速やかに委員会へ報告できる。委員会が即時中断を宣言した場合は、全員が直ちにプレーを止めなければならない。ただし、これは競技上の扱いだ。米国立気象局は、雷雨時は屋外に安全な場所はなく、十分な建物か、窓を閉めた金属製の屋根を持つ車へ避難するよう勧めている。
ハードの4位タイは大会記録に残る。それと同じくらい覚えておきたいのは、プレーを止めることと、安全な場所へ移ることは別だという点だ。
出典:pgatourmedia.pgatourhq.com / Golf Digest / washingtonpost.com / The R&A / weather.gov
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