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LISTEN GOLF第10回・トム・ワトソン

トム・ワトソン

トム・ワトソン――32年後、同じ18番に立った男

米PGAツアー39勝、メジャー8勝。ニクラウスとの真昼の決闘から、59歳で六つ目の全英優勝を本気で取りにいった日まで。トム・ワトソンの物語。

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トム・ワトソンの物語を聴く

約11分23秒 · 一人語り

紺色の帽子と上着姿でコースに立つトム・ワトソン

トム・ワトソン(2008年7月16日、ロイヤル・バークデールでの全英オープン練習ラウンド)。本文の2009年大会の前年。

写真:Ian Tilbrook / 出典 / CC BY 2.0

掲載用に縮小・WebP変換。写真の構図は変更していません。

2009年の全英オープン、最後の18番。59歳のトム・ワトソンは、パーで上がれば優勝できるところまで来ていた。

米PGAツアー39勝、メジャー8勝。全英で5勝、マスターズで2勝、全米オープンで1勝。海辺の風と硬い地面を相手にするリンクスで、とりわけ強かった名手である。

その男が、還暦を目前に、もう一つ優勝杯を手にしようとしていた。

会場は、スコットランドのターンベリー。 32年前、27歳のワトソンがニクラウスを破った、あのコースだった。

若い日の18番では、グリーンに落ちた球が、ピンのそばで止まった。 59歳で打った球は、止まらなかった。

79を打った若者に、名手が声をかけた

カンザスシティで育ち、スタンフォード大学を出てプロになったワトソンにも、最後の日に勝てない時期があった。

1974年の全米オープン。三日目に69を出して首位に立ちながら、最終日に79を打った。優勝の機会を逃した24歳は、クラブハウスで友人とビールを飲んでいた。

そこへ、が入ってきた。

後年、ワトソン自身が書いた回想によると、ネルソンは少し話せるかと彼を呼び出し、前日のプレーを褒め、最終日はスイングが少し速くなったのではないか、と話した。

全米を勝つ機会が来たら、そうなるものだ。自分にも覚えがある。 そんなふうに受け止めてもらえたことが、若いワトソンにはうれしかった。

二週間後、ワトソンはウェスタン・オープンでツアー初優勝を挙げる。

ただ、一度勝ったら、もう緊張しなくなるわけではない。翌年、初めて全英オープンに出たカーヌスティでも、最終日に三ホール続けて三パットした。

それでも、最後の18番でバーディーを取り、とのプレーオフへ進む。翌日、もう18ホールを戦って、一打差で勝った。

25歳の初出場で、全英王者になった。

五度の全英王者は、初めからリンクス好きではなかった

ワトソンは、のちに若い選手たちへ、自分より早くリンクスを好きになってほしい、と話している。

勝ったのだから、最初から大好きだったのだろう。 そう考えると、少し違うらしい。

米国で慣れ親しんだように、グリーンへ直接球を落とし、そこで止めたい。ところが、硬い地面は球をはね返す。狙った旗へ真っすぐ打てばいい、とも限らない。

ワトソンは、それにいら立ったという。

転がして寄せる。旗の横へ打つ。風や地面に合わせ、球を運ぶ道を考える。 その面白さが分かるまでには、時間がかかった。

初優勝の翌1976年、ツアーでは一勝もできなかった。ワトソンはネルソンに電話をし、テキサスの牧場を訪ねる。励ましてくれた名手から、今度はじっくり教わるようになった。

勝った経験はあっても、助けてもらいたい時には電話をする。 その翌年、ワトソンはマスターズを勝ち、夏のターンベリーへ向かった。

ニクラウスに追いついて、声をかける

1977年の全英オープンは、「真昼の決闘」と呼ばれる。

三日目、ワトソンとニクラウスは、そろって65。二人は同じスコアで最終日を迎えた。

ただ、最後まで仲良く並んでいたわけではない。ワトソンは序盤に三打差をつけられ、追いかける立場になった。

相手はニクラウスだ。三打も先へ行かれれば、普通は嫌になる。

ところが、ワトソンは戻ってきた。バーディーを重ね、15番では、約18メートルの長いパットを沈めて並ぶ。

その勝負の最中、ワトソンは相手に、こういう勝負こそゴルフだな、と声をかけた。ニクラウスも、それに応じた。

三打を追っていた男が、追いついた相手と、勝負の面白さを話している。

17番のバーディーで、ワトソンが一打前へ出る。 そして18番。ニクラウスのティーショットは、茂みのそばのラフへ入った。

ワトソンは、フェアウェイから7番アイアンを打つ。球はピンのそばへ落ち、約60センチに止まった。

これで決まった、と思いたくなる。 だが、ラフからグリーンへ運んだニクラウスは、約11メートルのパットを入れてしまう。

ワトソンには、まだ自分のパットが残っていた。 入れれば優勝。外せば、また並ぶ。

彼は、その短い一打を沈めた。

ワトソン65、ニクラウス66。四日間では、一打差だった。 三位のは、ワトソンから十一打も離れていた。

優勝杯を手にしたワトソンは、敗れたニクラウスと肩を組んでグリーンを離れた。二人とも、相手がどれだけのゴルフをしたか、すぐそばで見ていた。

「寄せる」つもりのキャディーと、「入れる」つもりの選手

1982年の全米オープン、ペブルビーチ。

スタンフォードの学生だった頃、ワトソンはここで、自分が全米でニクラウスと争っているつもりでプレーしたという。 その空想が、本当になった。

17番、パー3。球はグリーン脇の深いラフへ入った。 うまく寄せても、パーを取れるかどうかという場面だった。

キャディーのブルース・エドワーズは、近くへ寄せるよう声をかけた。 ワトソンは、入れるつもりだと返した。

そして、本当に入れてしまった。

球がカップへ消えると、ワトソンはグリーンの縁を駆け、ブルースを指さした。言ったとおりだと、喜んだ。

続く18番でもバーディーを取り、二打差で全米を勝った。

強気な言葉には、準備があった。

この大会の前、ワトソンはショットの調子が悪かった。グリーンを外すだろうと考え、深い草や下りの斜面から球を上げる練習を重ねていた。

練習していたショットを、優勝争いの最後で打つことになった。

首位の65より、話したかったこと

それから二十一年後、2003年の全米オープン。 53歳のワトソンは、初日に65を出し、首位に並んだ。

バッグを担いでいたのは、ブルースだった。 この年の初め、彼はALSという病気と診断されていた。

長く一緒に仕事をしてきた二人は、この日、終盤に涙を流した。

会見でワトソンは、翌日90を打ってもかまわないほどの思い出になった、と話した。

もちろん、首位に立てたのはうれしい。 それでも、この日、話したいことは自分のスコアだけではなかった。

ブルースの病気を知ってほしい。研究を進めるための資金が必要だ。 ワトソンは、その会見の場で支援を訴えた。

1982年には、打つ前に入れると言い切り、実際に入れて、キャディーを指さした。 その同じ人が、今度は、友人の病気をどうにかしたいと話していた。

2004年4月、ブルースは亡くなった。

翌年、ワトソンは作家ジョン・ファインスタインと、ブルース・エドワーズ基金を設立する。友人を助けたいと口にしたことを、研究支援の活動として続けた。

主将として、言葉を悔やんだ

ワトソンは、1993年には米国の主将としてライダーカップを勝っている。2014年、再び主将を任された大会では敗れ、選手との意思疎通をめぐって批判を受けた。

大会後の声明では、自分の言葉が、選手の献身を認めていないと感じさせたことを悔やみ、主将として責任を引き受けている。個人戦の勝ち方を知っていても、チームを率いる仕事まで、思いどおりにはならなかった。

32年後、球はグリーンに止まらなかった

話を、2009年のターンベリーへ戻そう。

ワトソンは59歳。前年には、股関節の人工関節手術を受けていた。 その選手が、初日に65を出し、二日目には首位に立った。三日目も首位で終えた。

そして最終日、17番のバーディーで、一打リードする。 32年前と同じように、最後の18番へ向かった。

フェアウェイからの残りは187ヤード。 選んだクラブは8番アイアンだった。

本人は後年、思いどおりの場所へ落とせたと振り返っている。 だが、球は止まらず、グリーンの奥へこぼれた。

そこから、パターで打つ。 球はカップを越え、約二メートル半のパーパットが残った。

入れば、59歳の全英王者になる。

そのパットは、入らなかった。

と並び、四ホールのプレーオフへ進む。 そこで勝ったのは、シンクだった。

テレビの前でワトソンを応援していた人には、つらい結末だっただろう。

ただ、優勝したシンクにも、自分の勝負があった。最終18番でバーディーを取り、プレーオフでも崩れずに戦った。

翌年の全英で、二人は一緒に練習ラウンドをしている。

「お葬式じゃないんだから」

敗れたワトソンの会見は、重い空気で始まった。

そこで彼は、お葬式じゃないんだから、と冗談を言った。

平気だったわけではない。 同じ会見では、腹の底が痛むほどの失望も語っている。

あのパットを入れたかった。 もう一度、全英を勝ちたかった。

その悔しさを抱えたまま、会見の席に座り、人を少し笑わせた。

大会後、ワトソンには、たくさんの手紙やメールが届いた。 自分にもまだできると思えた。もう一度挑戦したくなった。そんな思いを伝えるものだったと、本人は振り返っている。

ワトソンは、その反響に驚き、心を動かされたと振り返っている。

59歳のワトソンは、若い選手たちと四日間戦い、最後の18番を首位で迎えた。 パーで上がれば、全英王者。 六つ目の優勝杯を、本気で取りにいっていた。

あのパットが入らなかったことは、今でも悔しい。 それでも、59歳であそこまで本気の勝負を見せてくれた。 あの日のワトソンは、たまらなくかっこよかった。