鹿の角スプレー処分はなぜ消えた
GOLF DNA編集部🌐

3行まとめ
- 鹿の角スプレー使用を認めたビジェイ・シンは、いったん90日停止を通知されながら処分が消え、その後5年にわたり米男子ツアーと争った。
- 2013年の撤回を生んだ世界反ドーピング機関の解釈、裁判で残った「手続き」の争点、2026年の現行制度まで追う。
- 米男子ツアーは2008年に反ドーピング制度を導入し、当時は世界反ドーピング機関(WADA)の禁止物質リストを採用していた。
鹿の角スプレーを使ったと本人が認め、ボトルからは禁止物質とされる成分も検出された。それでも、ビジェイ・シンへの出場停止処分は消えた。
そしてシンは、その後に米男子ツアーを訴えた。
一見すると矛盾している。だが、この事件の核心は「スプレーを使ったか」ではなく、ツアーが禁止物質の解釈をいつ確定し、どの段階で調査・公表・処分へ進んだのかにあった。
2008年、米男子ツアーは反ドーピング制度を始めた
米男子ツアーは2008年に反ドーピング制度を導入し、当時は世界反ドーピング機関(WADA)の禁止物質リストを採用していた。
その制度の中で、シンの鹿の角スプレー問題が表面化したのは2013年1月29日だった。
裁判記録によると、シンは2012年に膝や背中のため鹿の角スプレーを使用していた。使用が報じられると、シンはすぐにツアーへ連絡した。
提供したボトルの分析では、インスリン様成長因子1(IGF-1)が検出された。一方、直前のシンの尿検査は、禁止物質について陰性だった。
ツアーは反ドーピング制度に基づき、90日間の出場停止と賞金の留保を通知した。シンは2月25日に不服を申し立て、仲裁へ進んだ。
ここまでは「禁止物質を含む製品を使った選手への処分」に見える。
ところが、4月末に前提が変わった。
処分を消したのは「使っていない」証拠ではなかった
ニューヨーク州の裁判記録では、WADAが2013年4月末、鹿の角スプレーそのものを禁止対象とはみなさないという見解を示したとされている。
そのため米男子ツアーは4月30日、シンへの処分を停止し、仲裁も終了した。
重要なのは、シンが「実は使っていなかった」と認定されたわけではないことだ。本人は使用を認めていたし、提出したボトルからIGF-1も検出されていた。
それでも、当時ツアーが依拠していたWADA側の解釈を確認すると、鹿の角スプレーの使用自認だけでは違反処分を維持できなかった。
つまり処分が消えた理由は、事実関係がひっくり返ったからではなく、「その事実を規則上どう扱うか」という解釈が確定したからだった。
シンが訴えたのは、撤回された後だった
処分がなくなったなら、それで終わりにも見える。
しかしシンは2013年5月、米男子ツアーを提訴した。
裁判で争われた中心は、鹿の角スプレーが違反だったかどうかではない。ツアーがWADAの見解を十分に確認する前に調査や処分、公表へ進んだことが、選手との関係で恣意的、不合理、あるいは悪意ある制度運用だったのかという点だった。
シン側は、制度の無謀な運用、公表による屈辱、賞金を留保したこと、他選手との扱いの違いなどを主張し、複数の請求を提起した。
処分そのものは2カ月余りで撤回されたのに、争いは「処分に至る手続きは適切だったのか」という別の問題へ移った。
2017年と2018年、裁判所はツアーの責任を確定しなかった
2017年、ニューヨーク州裁判所は双方の申立てを審理した。
賞金を巡る一部の請求は退けた一方、ツアーがWADAへの確認前に進めた調査や公表などが、シンに対する誠実公正な義務に反したかという争点は残した。
2018年6月の上級審も、その部分について下級審の判断を支持した。
具体的には、WADAへ事前に照会・依拠せず停止処分や公表へ進んだことが恣意的、不合理、悪意的だったのか、不正確な公表が誠実公正な義務に反したのかは、なお事実を争う余地があるとした。
一方、他選手との差別的な扱いを根拠とした部分など、退けられた主張もある。
ここを「シンが裁判で勝った」とまとめるのは正確ではない。裁判所は、残った争点についてツアーの最終責任まで認定していない。
5年の争いは、判決ではなく和解で終わった
2018年11月20日、米男子ツアーとシンは紛争を解決したと共同発表した。
和解条件は非公開だった。
出典:law.justia.com(2) / PGA TOUR(2) / nycourts.gov(2) / qualifying.pgatourhq.com(2)
関連記事
着弾まで20〜30秒 ヘリでしか行けない約395ヤードのパー3が約7年ぶりに戻った
3行まとめ
- 南アフリカのExtreme 19thは、ヘリでしか行けない約395ヤードのパー3。
- 落差約400m、滞空20〜30秒と案内される。
- 2019年にリゾートとともに閉鎖したが、2023年の資産取得・再構築を経て2026年5月に復活した。