木を1万2600本超切って「復元」した オークモントが森を消した理由
GOLF DNA編集部🇺🇸

3行まとめ
- 名門オークモントは、コースを良くするために木を植え続けた時代から一転し、20年ほどかけて1万2600本超を撤去した。
- 目的は「自然破壊」ではなく、創設時の開けた設計を取り戻し、芝の日照や管理負荷まで見直すことだった。
- ただし散水31%減を樹木撤去だけの効果とは言えない。
ゴルフ場の改修と聞けば、木を植え、緑を増やし、景観を豊かにする姿を想像しやすい。
ところが米国ペンシルベニア州の名門オークモント・カントリークラブは、まったく逆のことをした。
木を切った。しかも数本ではない。
USGAが2016年にまとめた復元史では、約20年にわたる計画で撤去した木は**1万2600本超**。それを「破壊」ではなく、コースを元へ戻すための復元と位置づけている。
なぜ、森を消すことが復元になるのか。
そもそも、オークモントは森のコースではなかった
オークモントは1903年、ヘンリー・C・フォウンズによって造成された。
USGAの記録によると、フォウンズが目指したのは開けた、荒々しい景観だった。木々に囲まれたホールではなく、離れたホールや地形まで見渡せることがコースの個性だった。
ところがフォウンズ家の時代が終わると、米国のゴルフ場では樹木を増やす流れが広がる。オークモントも例外ではなかった。
1973年の全米オープン時のクラブ資料では、コースに**3200本の木が追加された**とされている。1980年代には各ホールが木で囲われ、創設時とはかなり違う姿になっていた。
つまり、後に大量撤去された木の多くは「昔からそこにあった自然」ではない。
コースの歴史の途中で、人が植えたものだった。
1枚の1950年航空写真が、復元の設計図になった
転機は1990年代初め。
クラブ関係者が1950年の航空写真を見つけた。そこには、ほとんど木のないオークモントが写っていた。
USGAは、この写真がフォウンズ家の設計意図に近い姿を示す資料として使われたと説明している。樹木撤去は1993〜1995年ごろに始まり、2016年全米オープンへ向けた準備まで続いた。
数字が資料によって違うのも興味深い。
2015年のUSGA記事では、1992年全米女子オープン後に始まった約14年間の復元で「5000〜8000本」とされている。一方、翌2016年にUSGAがまとめたより長い範囲の復元史では、撤去数は**1万2600本超**になっている。
どちらかが単純に間違いというより、集計した時点と範囲が違うと見るのが自然だ。
復元は一度の工事ではなく、何年も続く作業だった。
木を切ったら、芝の管理まで変わった
オークモントの話が面白いのは、景観だけで終わらないところにある。
当時のコース管理責任者ジョン・ジマーズはUSGAに対し、樹木が多い場所では水や肥料が余計に必要になり、日陰によって芝の生育環境も悪化し、それが追加の管理につながっていたと説明している。
樹木を撤去した跡地の多くはフェスク類の草地へ変えられた。
その面積は約**28〜32ha**。刈り込みは年1回程度、肥料は基本的に使わず、散水も降雨以外はほぼ不要という低管理エリアになった。
「木をなくしたら緑が減った」という単純な話ではない。
高密度で管理する芝地と、ほとんど手を掛けない草地の配分そのものを変えたのである。
散水31%減を「木を切った効果」とは言えない
ここは数字の扱いに注意がいる。
USGAの記事では、オークモントの年間散水量は以前の約2500万ガロンから31%減り、年間約700万ガロン、約**2650万L**の削減になったと紹介されている。
ただし、これは樹木撤去だけの成果ではない。
2000年には散水設備そのものが更新され、その後コースの管理面積も約16〜20ha増えている。
したがって、「木を切ったから水が31%減った」と結論づけるのは飛躍だ。
言えるのは、大規模な樹木撤去、低管理草地への転換、散水設備の更新などを組み合わせ、コース管理の仕組み全体を変えていったということだ。
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