沼地の用地代は1ドル、建設費は約635万ドル TPCソーグラスができるまで
GOLF DNA編集部🇺🇸
3行まとめ
- 米国男子(PGAツアー)は1979年、TPCソーグラスの用地となる415エーカーの森林と湿地を1ドルで取得した。
- しかしコースや建物、設備には約635万ドルが必要で、会員権販売や融資、大会収益から資金を集めた。
- 完成したのは、選手側が所有し、観客が見やすく、一般のゴルフファンもプレーできる大会会場だった。
TPCソーグラスと聞くと、水に囲まれた17番グリーンが浮かぶ。その名物コースの用地代は、1ドルだった。
1979年、米国男子(PGAツアー)が取得したのは、フロリダ州ポンテ・ベドラ・ビーチにある415エーカーの森林と湿地。米国男子(PGAツアー)の公式回顧には、代金の小切手の日付が2月1日だったと記されている。
ただし、完成したゴルフ場を1ドルで買ったわけではない。コースとクラブハウス、管理棟、家具や設備までそろえるには、約635万ドルがかかった。土地代と建設費を分けてみると、この話はずいぶん違って見える。
買収を断られ、100ドルの賭けを持ちかけられた
当時のコミッショナー、ディーン・ビーマンが目指したのは、ザ・プレーヤーズ選手権の恒久会場だった。大会だけでなく、その開催場所も選手側が所有する構想だ。
最初は、すでにあるソーグラス・カントリークラブを買おうとした。ところが所有者のアルビダ社は売却に応じなかった。公式史によると、会長チャールズ・コブは資金や承認を集めるのは無理だと考え、計画が実現しない方に100ドルを賭ける提案までしたという。
ビーマンは別の土地を探した。地元の地主ジェロームとポールのフレッチャー兄弟が構想に賛同し、森林と沼地を1ドルで売った。安い土地を手に入れても、まだゴルフはできない。そこから造成と資金集めが始まった。
1ドルの小切手の後に必要だったお金
米国男子(PGAツアー)の2016年の回顧記事によれば、当時はツアーの資金を建設に直接使うことが認められていなかった。
そこで、創設時の会員権販売で100万ドルを集め、300万ドルを借り入れた。さらに1978〜82年のザ・プレーヤーズ選手権の収益も充てた。約635万ドルという費用は、コースだけでなく建物や備品まで含む金額だ。
土地を安く取得することと、使える会場を完成させることは別の仕事だった。1ドルという数字は強烈だが、その後の資金調達を抜かすと、ソーグラスができた経緯を見落としてしまう。
観客が見やすく、ファンも回れる会場へ
建設されたコースには、観客がプレーを見渡せる盛り土が設けられた。私有クラブでの大会を外から眺めるだけではなく、一般のファンも実際にプレーできることも、当初からの構想に含まれていた。
1980年に開場し、1982年にはザ・プレーヤーズ選手権を初めて開催した。ビーマンが手に入れたのは、次の大会を開く場所だけではない。選手の大会、観客の見やすさ、ファンが回る機会を一つの会場にそろえた。
売却を断ったコブの話にも続きがある。公式史には、開場を控えた1980年3月、ビーマンへ100ドル札を収めた記念額が贈られたと残る。実現できないと賭けた計画は、沼地から本物のコースになっていた。
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