コラムツアー・選手
最後の パットを 譲って 16対16、 それでも 米国が カップを 保持 1969年ライダーカップ
1969年ライダーカップの最終日。英国のロイヤルバークデールで、ジャック・ニクラスとトニー・ジャクリンのシングルスが最後のマッチになった。その一打は、大会を史上初の引き分けにした。
18番で、ジャクリンのバーディーパットはカップを外れ、短い距離を残した。ニクラスもバーディーパットをオーバーしたが、返しを沈めた。そこでニクラスは、ジャクリンがまだ打っていないパットを『入ったものとしてよい』と譲った。ライダーカップ公式の回顧が伝える、後に『ザ・コンシード』と呼ばれる場面だ。
譲ったのはカップそのものではない
この譲歩で二人のマッチは引き分け。大会全体も16対16となり、ライダーカップ史上初めて勝敗がつかなかった。パットを譲ったことと、大会のカップを相手に渡すことは同じではない。米国は1967年の前回大会で勝っていたため、引き分けでもカップを保持した。もしジャクリンがその短いパットを打っていたとしても、入ったかどうかは分からない。ニクラスの譲歩が確定させたのは、このマッチと大会の引き分けだった。
当時の米国の相手は英国チームで、現在の欧州チームと同じ名称ではない。ライダーカップ公式の大会史によると、米国は最終セッション前に11対13でリードを許していたが、シングルスで5対3と巻き返していた。その最後に、ニクラスとジャクリンのマッチが引き分けとなった。
その一打が残したもの
短いパットを打たせなかった判断は長く語られた。米国男子(PGAツアー)は後年、スポーツマンシップをたたえる『ニクラス=ジャクリン賞』の着想になったと説明している。
『譲ったのに米国がカップを保持』という結末は、個人のマッチ、大会の総得点、前回勝者による保持という三つの結果を分けると理解できる。結果として米国はカップを保持したが、打たれなかったパットの成否や別の勝敗を確定させることはできない。
3行まとめ
- 1969年ライダーカップの最後のマッチで、ニクラスはジャクリンに残った短いパットを譲った。
- 二人のマッチも大会も引き分けとなり、総得点は16対16。
- それでも米国はカップを保持した。
出典:rydercup.com(2) / PGA TOUR
関連記事
最後の パットを 譲った 一瞬が、 コースと 賞の 名に ライダーカップ1969
3行まとめ
- 1969年ライダーカップの最終ホールで、ニクラスはジャクリンの短いパットを譲った。
- 初の引き分けで米国はカップを保持。
- その場面は2人が共同設計したコースの名前になった。
1977年全英 「太陽の 決闘」 最終18番で ニクラスも バーディー
3行まとめ
- 1977年の全英オープン、ワトソンとニクラスは3日目まで同じ68、70、65で並んだ。
- 最終日はニクラスが一時3打先行。
- ワトソンは15番の約60フィートのパットで追いつき、17番で前に出た。
2012年メモリアル、 ウッズの 通算73勝目を 呼んだ 16番の 一打
3行まとめ
- 2012年メモリアルトーナメント最終日、ウッズは16番で首位を2打追っていた。
- グリーン奥の深いラフから約50フィートのフロップショットを直接沈め、18番もバーディー。
- 通算9アンダー279で優勝し、米国男子(PGAツアー)通算73勝でジャック・ニクラスに並んだ。