国・地域未確認 · 男子・一般
安田幸吉
人物と歩み
東京ゴルフ倶楽部のキャディーから、指導・クラブ製作・協会運営へ進んだ日本のプロの先駆者。17歳からレッスンなどの仕事を始めた。
1927年には昭和天皇へ献上するクラブの製作を担当。1929年は宮本留吉と日本人プロ初の海外遠征へ出て、ハワイアンオープンで17位に入った。1935年には全米オープンにも出場した。
1957年に日本プロゴルフ協会の初代理事長に就任。小樽カントリー倶楽部など50を超えるコースの設計・監修・改造にも関わり、競技の成績以外にも多くの仕事を残した。
ゴルフ史でたどるキャリア
浅見緑蔵が日本オープンを勝つ。ヘーゲンは全英3勝目。
初代王者の赤星六郎に続く、第2回大会。第2回日本オープンは5月26〜27日、東京ゴルフ倶楽部の駒沢コースで行われた。参加14人のうち7人がアマチュア。浅見緑蔵は78・73・78・72の301打で、安田幸吉の308打を抑えた。
1928年のゴルフ史を読む →宮本留吉の298打、ヘーゲンの67打。二つのオープン。
6月8〜9日の日本オープンは茨木カンツリー倶楽部で行われた。宮本留吉は77・72・74・75の298打、安田幸吉は300打。17人が出場した大会で、宮本が初めて日本オープンを勝った。
1929年のゴルフ史を読む →
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