国・地域未確認 · 男子・一般
ジム・ターネサ
Jim Turnesa
日本語名は仮表記です。英語名を併記しています。
人物と歩み
ニューヨークのゴルフ一家で育ち、七兄弟の中で全米プロ王者となった選手。クラブで働きながら、国内選手権とライダーカップで長く競った。
ターネサ七兄弟のうち、ウィリーはアマチュアにとどまり、他の六人はプロになった。ジムは1942年全米プロでサム・スニードに敗れて準優勝し、10年後の1952年にはチック・ハーバートを1アップで破って優勝。マッチプレーで争われた時代の同大会に23回出場し、全米オープンにも16回出場したと地元PGAの人物史に記されている。
1951年にはレディングオープン、1959年にはメトロポリタンオープンを制し、1953年ライダーカップではピーター・アリスとのシングルスに勝った。競技と並行し、ウェストチェスターのブライアー・ホールやロングアイランドのミル・リバーでクラブプロを務めた。家族の競技文化を背景に、クラブ勤務とトップレベルの試合を両立した。
ゴルフ史でたどるキャリア
全米は休止。スニードは全米プロで初のメジャー。
シービューで開かれた全米プロでは、サム・スニードがジム・ターネサと対戦。午前は3ホールのリードを許したが、午後に追いつき、最後は2ホールリード、残り1ホールの2&1で初のメジャー優勝を挙げた。
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プロフィール
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