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🇺🇸米国 · 男子・一般

サム・スニード

Sam Snead

日本語名は仮表記です。英語名を併記しています。

人物と歩み

バージニアの山あいで、裸足と手製のクラブからゴルフを覚えた名手。滑らかで大きな力を生むスイングが、多くの観客を魅了した。

PGAツアー82勝、メジャー7勝。1946年には戦後最初の全英をセントアンドリュースで制し、マスターズと全米プロでも各3勝を挙げた。

全米は4度2位に入りながら優勝できなかった。長く競技力を保ち、1974年の全米プロでも62歳で3位。技術と身体の柔軟さを長年生かした選手だった。

米国ツアー82勝は最多記録に並ぶ。1938年から1965年まで同じグリーンズボロの大会を8度制し、若い時の勢いだけでなく三十年近い適応力を残した。

生涯成績

米国男子ツアー82勝、メジャー7勝。タイガーと並ぶツアー最多勝利の記録に、1965年の最終優勝まで続く長いキャリアが重なる。

米国男子ツアー通算
82勝
男子メジャー通算
7勝
グリーンズボロ大会
8勝

公式資料の確認日:

ツアー通算勝利には、そのツアーが認定するメジャー優勝を含みます。メジャー勝利を足し合わせた総勝利数ではありません。一般・シニア・アマチュアの実績は区別しています。 歴史上の選手は、遡及認定を含むツアー通算と公式プロフィール掲載のプロ通算を分けて表示します。

メジャー優勝の内訳

マスターズ · 3勝
1949年、1952年、1954年
全米オープン · 0勝
優勝なし
全英オープン · 1勝
1946年
全米プロ選手権 · 3勝
1942年、1949年、1951年

82勝が物語る長さ

通算82勝はタイガー・ウッズと並ぶ米国男子ツアー最多記録。グリーンズボロでは1938年から1965年の間に8勝を挙げた。

三つのメジャーを制したキャリア

マスターズと全米プロで各3勝、戦後最初の全英で1勝。全米オープンは4度の2位に終わり、男子四大大会すべての優勝には届かなかった。

キャリア年表

  1. 最初の全米プロ優勝

    メジャー7勝の最初のタイトル。

    1942年のゴルフ史を読む →
  2. セントアンドリュースで全英優勝

    戦後最初の全英オープンを制した。

    1946年のゴルフ史を読む →
  3. マスターズ3勝目

    1949年、1952年に続く優勝。

    1954年のゴルフ史を読む →
  4. 52歳でツアー82勝目

    グリーンズボロで8度目の優勝を挙げ、米国男子ツアーでの最終勝利となった。

    1965年のゴルフ史を読む →

ゴルフ史でたどるキャリア

  1. 全米は休止。スニードは全米プロで初のメジャー。

    シービューで開かれた全米プロでは、サム・スニードがと対戦。午前は3ホールのリードを許したが、午後に追いつき、最後は2ホールリード、残り1ホールの2&1で初のメジャー優勝を挙げた。

    1942年のゴルフ史を読む →
  2. 全英が戻る。女子にも、オープン選手権が生まれる。

    六年間の休止を経て、全英がセントアンドリュースで再開した。サム・スニードは71、70、74、75の290打。との294打に4打差をつけて優勝した。

    1946年のゴルフ史を読む →
  3. 霞ヶ関で、日本代表が世界に勝った。

    中村が274打、小野が283打で、団体合計557打。サム・スニードとの米国は566打だった。日本は9打差で優勝し、中村は個人戦でも頂点に立った。

    1957年のゴルフ史を読む →

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米バージニア州のゴルフ場で、作業員が樫の木を薪にするため割ると、中からゴルフボールが2個見つかった。 1個の四角いくぼみ模様は、USGA博物館の歴史担当者が写真から1910〜1930年頃のものと推定した。 球が木に入った時期や経緯、製造年は未確定。古い模様と『100年間埋まっていた』ことは同じではない。

は2022年、息子ビルと組んだ大会で、68歳での米国男子ツアー最年長予選通過を記録した。 交互に打つ第2ラウンドの最終ホール。息子が寄せた約1.5ヤードのパーパットを父が決め、カットラインに届いた。 子どもの頃の親子大会から、今度は息子が父を誘う舞台へ。記録の背景には、二人で一つのスコアを作る面白さがある。

2019年のZOZOチャンピオンシップ第2ラウンドでは、豪雨で冠水した10番が140ヤードのパー4になった。 はショートアイアンでグリーンを捉え、2打でイーグル発進した。 距離を縮めてもパーは4のまま。その臨時設定の裏では、115人のスタッフが早朝からコースを復旧していた。

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プロフィール

国・地域
🇺🇸米国
生年月日
1912-05-27
プロ転向
1931年
日本語名
仮表記