ゴルフ史

1942年

全米は休止。スニードは全米プロで初のメジャー。

ミズノ トーナメントを時代のアイコンに、米男子の賞金首位と、世界・日本の選手権、女性たちの競技まで振り返る。全米オープンなどUSGAの選手権が休止した年にも、全米プロは開催された。サム・スニードがジム・ターネサとの決勝を逆転で制す。

この時代のドライバー

1936年登場のミズノ トーナメント。メーカーの年表に残る実物写真を、この時代のドライバーのアイコンにした。この年の新発売や、戦時中も生産・販売が継続したことを示すものではない。

1936年登場のミズノ トーナメント。メーカーの年表に残る実物写真を、この時代のドライバーのアイコンにした。この年の新発売や、戦時中も生産・販売が継続したことを示すものではない。

この年の主役と、賞金の記録

SEASON LEADERS

米男子は記録がある1934年以降の年間賞金首位、それ以前は全米王者。女子と日本は当時の主要選手権を取り上げる。選手権の優勝を年間賞金王とは数えない。

  • 米男子 · PGAの賞金記録

    1942年

    ベン・ホーガン

    $13,143.00

    年間賞金首位(歴代記録)

    PGA TOUR公式ガイドの年間賞金首位。1大会の優勝賞金や後年のボーナスとは分けて掲載する。

  • 米女子 · 主要選手権

    1942年

    ドロシー・カービー

    タイトルホルダーズ選手権優勝

    全米女子アマは戦争で休止したが、この大会は開催され、アマチュアのカービーが優勝。LPGA創設前の年間賞金女王という意味ではない。

  • 日本男子 · 全国選手権

    1942年

    陳清水

    日本プロ選手権優勝

    日本の現行ツアー制は1973年開始。この欄は選手権の勝者で、年間賞金王ではない。

  • 日本女子 · 競技の背景

    1942年

    女子プロ賞金制度の成立前

    倶楽部から競技が育つ時代

    女子プロ部門の発足は1967年、歴代賞金女王表は1968年から。女性がプレーしていなかったという意味ではなく、後年の賞金ランキングをこの年へ遡らせない。

男子は後に四大メジャーとなる大会のうち、この年までに始まった大会だけを掲載。マスターズは1934年、全米プロは1916年からで、当時の全米プロはマッチプレー。女子は全米女子アマと、1930年以降の女子ウェスタン、1937年以降のタイトルホルダーズを並べる。全米女子アマはプロのメジャーに数えず、後のLPGA認定大会と区別する。

主要選手権の勝者を、一望する

MAJOR CHAMPIONS

1942年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

全国選手権の勝者、女性たちの競技、道具と時代の変化。

  1. 年間

    マスターズはバイロン・ネルソン

    バイロン・ネルソンがマスターズを制した。72ホールの合計は280打。同スコアで並んだ後、プレーオフを勝ち切った。

  2. 年間

    全米オープンは戦争で休止

    第二次世界大戦の影響で全米オープンは開かれなかった。創設前の空欄とは異なり、すでにあった大会が開催されなかった年として記録する。

  3. 年間

    全英オープンは戦争で休止

    第二次世界大戦の影響で全英オープンは開かれなかった。創設前の空欄とは異なり、すでにあった大会が開催されなかった年として記録する。

  4. 年間

    全米プロはサム・スニード

    サム・スニードが全米プロを制した。決勝の結果は2 and 1。当時は相手とのホールごとの勝敗を積み重ねるマッチプレーで、後年の72ホール合計打数による優勝とは記録の読み方が違う。

  5. 年間

    USGAのアマチュア選手権も休止

    全米アマチュアと全米女子アマチュアも戦争の影響で休止。男女の全国選手権を同時に追うと、大会が開かれなかった年の広がりが見えてくる。

  6. 年間

    女子ウェスタン・オープンはベティ・ジェイムソン

    ベティ・ジェイムソンが女子ウェスタン・オープンを制した。優勝時点ではアマチュア。LPGA発足前に行われ、後にLPGAの歴代メジャー記録へ収められた大会。全米女子アマチュアと同じ大会ではない。

  7. 年間

    タイトルホルダーズ選手権はドロシー・カービー

    ドロシー・カービーがタイトルホルダーズ選手権を制した。優勝時点ではアマチュア。LPGA発足前に行われ、後にLPGAの歴代メジャー記録へ収められた大会。全米女子アマチュアと同じ大会ではない。

  8. 年間

    賞金首位は、メジャー優勝とは別の称号

    ベン・ホーガンが年間賞金首位で、公式ガイドの記録は$13,143.00。メジャーを勝った顔ぶれと並べると、1大会の強さと年間を通じた成績の違いも見えてくる。

  9. 道具

    国産の木製ドライバーが育った時代

    1936年に登場したミズノ トーナメントを、メーカーの年表に残る実物写真で振り返る。現代の大型チタンヘッドよりずっと前の木製ヘッドだ。写真のモデルの登場年と、いま読んでいる年を区別して眺めたい。

日本のゴルフ

選手権の結果に、倶楽部や競技団体の歩みを重ねて読む。

  1. 年間

    日本アマチュアは成宮喜兵衛

    川奈富士・大島コースで成宮喜兵衛が日本アマチュアを制した。決勝の結果は5 and 4。直接対決を勝ち抜くマッチプレーの記録だ。プロの賞金王とは別に、日本のアマチュア競技の主役を記録する。

  2. 年間

    日本オープンは開催されず

    日本オープンは戦時下の状況により開催されなかった。同じ年の日本プロ選手権や日本アマチュアの開催状況を、別々に確かめる必要がある。

  3. 年間

    日本プロは陳清水

    小金井で陳清水が日本プロ選手権に優勝。前年中止の大会が開かれ、延徳春を決勝で下した。戦時下で最後の日本プロとなる。

  4. 年間

    JGA解散と、川奈に残った選手権

    JGAは解散を決議し、事業は大日本体育会の打球部会へ引き継がれた。川奈では日本アマチュアが行われ、成宮喜兵衛が優勝。制度の変化と、その年に実際に開かれた競技を分けて振り返る。

この年を、もう少し深く

STORIES OF 1942

USGAの選手権が、一斉に休止する。

第二次世界大戦により、全米オープンを含むUSGAの選手権は1942年から1945年まで開催されなかった。全英はすでに1940年から休止しており、同じ戦争でも大会ごとに空白の始まる年が違う。

全米プロの決勝は、マッチプレー。

シービューで開かれた全米プロでは、サム・スニードがジム・ターネサと対戦。午前は3ホールのリードを許したが、午後に追いつき、最後は2ホールリード、残り1ホールの2&1で初のメジャー優勝を挙げた。

日本では、協会の組織も変わる。

日本ゴルフ協会は解散を決議し、事業は大日本体育会の打球部会へ引き継がれた。この年の日本アマは川奈で開催されたが、戦前最後の日本選手権競技となった。