人種差別が あった 時代、 黒人ゴルファーは PGA以外の どんな 大会や 組織で 競技していた?
人種・階級・ゴルフ史/黒人競技組織
まず答え
米国では、黒人ゴルファーが主流の職業ゴルフから排除されていた時代に、United Golfers Association(UGA)が独自の大会網を運営しました。代表大会はNegro National Openで、各地の黒人クラブや大会も競技機会を支えました。USGA選手権など、制度上参加可能な大会へ進んだ選手もいました。
詳しい解説
米国では、人種隔離の時代にも黒人ゴルファーが競技をやめていたわけではありません。主流の職業ゴルフへ入る道が狭かったため、自分たちの組織と大会網を作って競技機会を確保していました。
中心的な存在がUnited Golfers Association(UGA)です。スミソニアン国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館は、UGAが1920年代半ばに、黒人ゴルファーへ組織的な競技機会を提供するため設立されたと説明しています。UGAツアーの代表大会がNegro National Openで、各地の黒人ゴルフクラブの成長にもつながりました。
USGA Museumの資料では、UGAは1925年に黒人の実業家らによって組織され、人種隔離期に黒人選手のための大会シリーズを運営したとされています。Ted Rhodes、Bill Spiller、Pete Brown、Lee Elder、Charlie Siffordなど、のちに米国ゴルフ史で重要になる選手もこの競技網でプレーしました。女性の競技もあり、USGAの歴史資料では1930年からUGAの女子選手権が行われたとされています。
大会はUGAだけではありません。たとえばAnn Gregoryは、Chicago Women's Golf Association Championship、Joe Louis Invitational、UGA Championshipなどで競技経験を積みました。また、各地の黒人コミュニティが使える公営・独自施設も重要で、フロリダ州Rogers Parkのように、隔離下で黒人ゴルファーの競技と交流を支えたコースがありました。
一方で、すべての全国大会が人種で閉ざされていたわけではありません。USGAの選手権は黒人選手にも参加の道があり、1896年のU.S. OpenにはJohn Shippenが出場し、1959年にはBill WrightがU.S. Amateur Public LinksでUSGA選手権初の黒人優勝者になりました。つまり当時の状況は「黒人選手がゴルフ大会に出られなかった」のではなく、PGA系の主流職業競技や多くの私設クラブから排除される中で、UGAなど独自の競技基盤を作り、参加可能な全国大会へも進出していった、と捉えるのが正確です。
PGA of Americaの人種制限条項が1961年に撤廃されると、主流ツアーへの道が広がり、UGAの役割は次第に縮小しました。しかし、UGAは差別下でも競技レベルを維持し、次世代の選手を育てた重要な競技基盤でした。