開場8か月で全米オープンが決まった理由
GOLF DNA編集部🇺🇸

3行まとめ
- 2007年に開場したピアース郡所有の市営コース、チェンバーズベイは、わずか8か月後に2010年全米アマと2015年全米オープンの開催地に決まった。
- 全米ゴルフ協会が当時評価した競技性、観戦性、地域の運営力と、2010年大会で得た実運用の知見、その後の継続開催を追う。
- チェンバーズベイは、旧砂・砂利採掘地を含む土地に造られた。
2007年に一般開場したばかりの市営コースが、約8か月後には全米オープンの開催地に決まった。
チェンバーズベイ(Chambers Bay)で起きたのは、それだけではない。全米ゴルフ協会(USGA)は2008年2月8日、2010年の全米アマチュア選手権と2015年の全米オープンという二つの大会を同時にこのコースへ任せると発表した。
まだ大型大会の開催実績はなかった。では、何を見て選んだのか。
答えは、後年の成功ではない。2008年の選定時点で、USGAは世界トップ選手への十分な競技試験になること、観客に良い観戦体験を提供できること、ピアース郡の地域リーダーシップ、そして2010年の全米アマを通じてコース設計と選手権設定への理解を深められることを評価していた。
採掘跡は、公共施設の核としてゴルフ場になった
チェンバーズベイは、旧砂・砂利採掘地を含む土地に造られた。コースはピアース郡が所有する930エーカーの公園の中心施設で、ゴルフ場自体は約250エーカーを占める。
ピアース郡のマスタープランでは、ゴルフ場は単独の商業施設として置かれたわけではない。旧採掘地を含む敷地を公共アクセスとレクリエーションへ転換する一部であり、同時に、収益を生まない公共施設の費用を補う収益用途として位置づけられた。北側区域では、チェンバーズベイが開発の核であり主要な収益用途とされた。
その構想の中で、2007年6月に一般開場した。
そして約8か月後、まだコースの歴史がほとんど積み上がっていない段階で、二つの全米選手権が決まった。
USGAが見たのは「実績」より開催地としての素材だった
2008年の発表で、USGA選手権委員会のジム・ハイラーは、チェンバーズベイが世界トップ選手に十分な試練を与えられること、現地だけでなくテレビやオンラインの観客にも良い体験を提供できることを挙げた。
さらに、ピアース郡の地域リーダーシップを評価し、2010年の全米アマを開催することで、コース設計と選手権時の設定についてさらに理解を深められると説明している。
つまり2010年大会は、2015年へ向けた実戦の機会でもあった。
もう一つ特徴的だったのが芝だ。USGAは、全米オープンとして初めてグリーンを含めファインフェスクで行う点も明示していた。
公営であること自体を、2008年の個別選定理由としてUSGAが明示した資料は確認できない。ただ、USGAは2010年に、1999年から2019年までの全米オープン開催地選定を通じ、一般公開コースへ大会を持ち込む方針を説明し、その対象にチェンバーズベイを含めている。
個別の選定理由と、公営・一般公開コースを重視する全体方針は分けて見る必要がある。
2010年の全米アマで、本番前の答え合わせが始まった
2010年、予定どおり全米アマが開催された。
大会後、USGAはそこで得た具体的な知見を説明している。ファインフェスクの水分管理、硬く速い状態でのコース設定、リンクス型の戦略性など、2015年の全米オープンへ向けて実運用で学べる材料が増えた。
2008年の時点では「このコースなら大舞台を任せられる」という評価だった。2010年になると、その判断を実際の選手権運営で検証できる段階に入ったことになる。
そして2015年、チェンバーズベイは全米オープンを実際に開催した。
ここで初めて、開場直後の選定と、その後の開催実績を一本につなげて見ることができる。
大会は一度きりで終わらなかった
チェンバーズベイとUSGAの関係は、2015年で終わらなかった。
USGAは2016年の次回大会発表で、ピアース郡などとの強い関係に触れ、優れたコースで成功し記憶に残る選手権を実施した会場へ戻る長年の傾向を説明している。
その後、2021年には全米アマチュア・フォアボール、2022年には全米女子アマチュア選手権が開催された。
2022年の全米女子アマ開催によって、チェンバーズベイは全米アマ、全米オープン、全米女子アマの3選手権すべてを開催した初の市営コースになった。
さらにUSGAは、2027年の全米ジュニアアマチュア、2033年の全米アマチュアもチェンバーズベイで開催すると発表している。2026年9月時点でも、この二大会は将来予定として確認されている。
開場8か月で全米オープンまで決まった理由は、「後に成功したから」では説明できない。
2008年にUSGAが見ていたのは、トップ選手を試せるコース、観客に見せられる舞台、地域側の運営力、そして2010年大会を使って2015年へ準備を深められる余地だった。
その初期判断を2010年の全米アマで実地に確かめ、2015年の全米オープンを開催し、その後も大会が戻った。
旧採掘地に造られた市営コースが特別なのは、短期間で大大会をもらったことだけではない。開場直後に評価された「開催地としての素材」が、実際の大会運営を通じて継続的なUSGA会場へ変わっていったことにある。
出典:USGA(2・3・4・5・6) / piercecountywa.gov / DP World Tour
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