本部移転が660エーカーになった理由
GOLF DNA編集部🇺🇸

3行まとめ
- 全米プロゴルフ協会の本部移転は、660エーカー・5億ドル超の公民プロジェクトへ広がった。
- 誰が何を持ち、何を動かし、なぜ大会まで先に置いたのか。
- 2018年の契約から2027年PGA選手権までを追う。
2018年12月、全米プロゴルフ協会(PGA of America)が発表したのは、本部をフロリダ州からテキサス州フリスコへ移す計画だった。
ところが、出来上がったものは新しいオフィスだけではない。
660エーカーの敷地に、2つの選手権コース、短いコース、練習施設、ホテル、会議施設、指導拠点を置き、開業前から主要大会を長期配置する。初期計画の公民投資額は5億2000万ドル規模だった。
本部移転が、ひとつの「ゴルフ都市」の建設にまで広がった。
なぜ、そこまで大きくしたのか。
答えは、全米プロゴルフ協会だけの施設を作るのではなく、協会、自治体、学校区、民間企業がそれぞれ別の目的で使える常設拠点として設計したからだ。
5億ドル超は、協会だけが出した金ではない
2018年にフリスコ側が発表した初期計画では、総投資額は約5億2000万ドルと見積もられていた。
その内訳は、全米プロゴルフ協会の本部・教育施設が約3000万ドル。民間開発側が土地、ホテル、会議施設、小売、駐車場、ゴルフ関連施設などへ約4億5500万ドル。フリスコ市、経済開発公社、地域開発公社、フリスコ独立学区による公共施設への負担が最大約3500万ドルだった。
つまり「全米プロゴルフ協会が5億ドルを投じた施設」ではない。
公と民が役割を分けた複合開発だった。
初期契約では、ゴルフコースやクラブハウス、練習場などの公共施設、土地や会議施設はフリスコ市が所有する設計とされた。民間側は運営や維持、資本費を担い、オムニはリゾートを所有・運営する。
学校区も単なる出資者ではない。生徒の練習や教育機会を得る。市はスポーツ、観光、経済開発の拠点を得る。全米プロゴルフ協会は約2万9000人のプロ、ゴルファー、職員が集まる本拠を得る。
それぞれが違う目的を持つから、本部の建物だけで終わらなかった。
本部が先に開き、翌年に街が動き始めた
全米プロゴルフ協会の新本部は2022年8月22日に開業した。建物は10万6621平方フィート。
翌2023年5月には、オムニPGAフリスコ・リゾートが開業した。
500の客室・スイート、10棟のランチハウス、2つの選手権コース、10ホールの短いコース、約2エーカーのパッティングコース、12万7000平方フィート超の会議・イベント空間を備える。
さらに、一般客も利用できる指導拠点では、ゴルフ指導だけでなくクラブ調整や身体機能も扱う。
ここで重要なのは、ホテルやコースが本部のおまけではないことだ。
本部、競技会場、教育・練習、宿泊、イベントを同じ場所に置くことで、大会がない日にも施設を動かせる。逆に大会が来れば、協会本部の隣で競技、宿泊、運営をまとめて行える。
開業前から「12年で26大会」を置いた
施設の性格を決定づけたのが、大会の先行配置だった。
2022年、全米プロゴルフ協会はPGAフリスコで今後12年間に26の主要選手権を開く計画を公表した。そこには2027年と2034年のPGA選手権、2025年と2031年の全米女子プロ選手権などが含まれていた。
そして計画は、少なくとも「大会を実際に動かす」という段階には入っている。
2023年には全米シニアプロ選手権、2024年にはPGAプロフェッショナル選手権、2025年には全米女子プロ選手権、2026年にはジュニアPGA選手権が開催された。
次の大きな節目は2027年5月20〜23日。当地では初となるPGA選手権が予定されている。
一方で、数字は固定ではない。2022年の協会資料は「12年間で26大会」だったが、2026年9月時点のフリスコ市公式ページでは「12年間で27大会」と案内されている。
当初計画がそのまま一字一句実行されているのではなく、日程や数え方を更新しながら長期運用に入っていると見るのが正確だ。
25億ドルの経済効果は、まだ「実績」ではない
2018年の発表には、もうひとつ大きな数字があった。
20年間で25億ドル超の経済効果という予測だ。
出典:PGA of America(2・3・4・5・6・7・8) / friscoedc.com / omnihotels.com / friscotexas.gov(2)
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