同じ18ホールで優勝スコアが10打差 2週連続のミュアフィールド・ビレッジは何を変えたのか
GOLF DNA編集部🇺🇸

3行まとめ
- 2020年、米男子ツアーはミュアフィールド・ビレッジで2週連続開催。
- 1週目は19アンダー、翌週は9アンダーで決着した。
- グリーン速度、ラフ、ティー、ピン位置をどう変え、風や芝状態が難度差にどう重なったのかを追う。
2020年7月、米男子ツアーでは珍しいことが起きた。同じミュアフィールド・ビレッジGCを使い、1週間違いで2大会を開催したのだ。
1週目のワークデイ・チャリティー・オープンはコリン・モリカワが19アンダーで優勝。翌週のメモリアル・トーナメントはジョン・ラームが9アンダーで勝った。同じ18ホールなのに、優勝スコアは10打違った。
その差は偶然だけではない。運営側は最初から、同じ会場に「別の顔」を持たせようとしていた。
きっかけは大会中止。1957年以来の同一会場2週連続に
新型コロナウイルスの影響でジョンディア・クラシックが中止となり、空いた週にワークデイ・チャリティー・オープンが新設された。会場に選ばれたのが、翌週にメモリアルを控えていたミュアフィールド・ビレッジだった。
米男子ツアーで同じ会場を2週連続で使うのは1957年以来で、史上12回目。コース側とツアーに与えられた準備期間は約1カ月だった。
課題は、同じ18ホールをそのまま2回見せないことだった。
1週目は遅く短く、2週目は速く深く
最も分かりやすい違いはグリーン速度だ。
事前計画では、1週目のワークデイはスティンプメーターで11.5〜12フィート、2週目のメモリアルは13〜14フィートを目標とした。差は約2〜2.5フィート。これは4日間すべての実測値ではなく、運営側が設定した目標値だ。
ラフも1週目は短めにし、2週目は高くする方向で調整。ティーとピン位置も変え、普段使わない場所を1週目に取り入れる計画だった。
実際に2週目へ入ると、コースは前週より硬く、グリーンは速くなり、ラフも高くなっていた。モリカワは火曜日の時点でグリーンを前週より約1〜1.5フィート速く感じたと話し、ツアーの記事では約2フィート速いとも説明されている。
つまり、計画上だけでなく、選手が向き合った条件そのものも変わっていた。
19アンダーから9アンダー。週末はさらに難しくなった
1週目はモリカワとジャスティン・トーマスが72ホールを19アンダーで並び、プレーオフでモリカワが勝った。第1ラウンドのフィールド平均は72.121、4日間を通した平均は71.85だった。
翌週のメモリアルは様相が変わる。第3ラウンドの平均は73.7で、60台を出したのは2人だけ。最終日は平均75.932まで上がり、パーを切れた選手はわずか5人だった。これはメモリアルの最終日平均として1978年以来の高スコアだった。
優勝したラームも最終日は75。通算9アンダーで3打差の勝利だった。
難しくしたのは「設定」だけではない
ここで19アンダーと9アンダーの10打差を、そのままコース設定の効果と考えることはできない。
2週目の週末には約6.7〜8.9m/sの旋回する風が吹き、フェアウェイは硬く、グリーンも焼けたように硬い状態だった。ラフは刈らずに伸ばされ、大会後にグリーンを張り替える予定だったため、速さや硬さを抑える必要もなかった。
1週目にも雷雨による約75分の中断が2回あり、再開後には強い突風が出ている。さらに出場人数は1週目156人、2週目120人で、フィールドの構成も同じではない。
だから、10打差を「グリーンを速くしたから」「ラフを伸ばしたから」と一つの要因へ分解することはできない。
同じコースを別物にしたのは、条件の重ね方だった
この2週間からはっきり分かるのは、同じ土地、同じ18ホールでも競技条件はかなり変えられるということだ。
1週目はグリーンを遅くし、ラフを短くし、ティーとピン位置を変える。2週目は本来のメモリアル仕様へ寄せ、速いグリーン、高いラフ、硬い地面に、週末の強風まで重なった。
その結果、1週目は19アンダーの優勝争い、2週目の最終日は平均75.932という別世界になった。
効いたのは一つの仕掛けではない。グリーンの速度と硬さ、ラフ、ティー、ピン位置、風、芝の状態を重ねることで、同じ18ホールがまったく違う問いを選手へ突きつけた。ミュアフィールド・ビレッジの2週間は、コースの難しさが設計図だけで決まるわけではないことを数字で見せた特殊な実例だった。
関連記事
「15本あります」――全英最終日、バーディー直後に2打を失った男
3行まとめ
- 2001年全英オープン最終日、イアン・ウーズナムは1番でバーディーを奪った直後、バッグの15本目に気づき2打罰。
- 余分だったのは練習場で使った2本目のドライバーで、最終的には優勝者デビッド・デュバルに4打差の3位タイだった。
- 18年後、同じロイヤル・リザムの1番で14本を数える“再演”まで生まれた。