6打差首位で強制棄権、次戦で初メジャー ジョン・ラームの2週間
GOLF DNA編集部🇺🇸

3行まとめ
- 2021年メモリアルで6打差首位に立ちながら、陽性判定で最終日を前に強制棄権となったジョン・ラーム。
- 濃厚接触後の毎日検査、隔離と陰性確認を経て、次に出場した全米オープンで初メジャーを制した。
- 競技力とは別の制度で首位から消え、2週間後に頂点へ立つまでを当時の公式記録で追う。
2021年6月5日、メモリアル・トーナメントの第3ラウンドを終えたジョン・ラームは、後続に6打差をつけていた。54ホールを終えて単独首位。ところが、彼の大会はスコアではなく検査結果で終わった。
ラウンド直後、ラームは新型コロナウイルスの陽性判定を告げられ、競技から撤退した。次に実際に出場した大会は全米オープン。そこで初のメジャータイトルを手にすることになる。
この2大会を「棄権を乗り越えたから勝てた」という物語で結ぶ根拠はない。だが、5月31日の濃厚接触から6月20日の初メジャーまでを時系列で並べると、当時の感染対策が選手の競技をどこまで左右していたかが見えてくる。
濃厚接触でも、すぐに出場停止ではなかった
始まりは5月31日だった。ラームは新型コロナ陽性者との濃厚接触者として追跡対象になった。
当時の米男子ツアーの感染対策では、この段階で直ちに大会から外れるのではなく、競技を続ける場合は毎日の検査を受け、屋内施設へのアクセスを制限される運用だった。ラーム自身に症状はなく、その条件の下でメモリアルに出場を続けた。
だから第3ラウンドまでプレーできた。濃厚接触そのものと、陽性判定後の扱いは別だった。
6打差首位でも、陽性なら続行できなかった
6月5日、第3ラウンド中に採取された検体が午後4時20分ごろに陽性となった。同じ検体を使った確認検査も午後6時5分ごろに陽性だった。
その時点でラームは18ホールを終え、6打差の首位に立っていた。だが、当時のツアーの感染対策運用では、陽性判定後に競技を続けることはできない。ラームはラウンド終了直後に撤退を告げられた。
通常なら、優勝へ最も近い位置にいた選手が、翌日の最終ラウンドには出られない。競技成績とは無関係の条件で、首位の選手が優勝争いから外れた。
PGA TOURの当日の公式声明は、米疾病対策センターの指針に基づき、当初は6月15日まで隔離対象になると説明していた。
6月11日までに陰性、全米オープンへの準備を再開
その後の経過は、当初示された隔離期間より早く動いた。
全米オープンを主催するUSGAの6月15日の公式記事によると、ラームは前週金曜の6月11日までに陰性となり、さらに確認検査でも陰性だった。そのため、全米オープンへ向けた準備を当初想定より早く再開できた。
公開されている一次資料からは、この早期再開を可能にした当時の感染対策計画の細かな条項までは確認できない。分かっているのは、6月5日に陽性で棄権し、6月11日までに陰性と確認陰性がそろい、6月17日の全米オープンには出場できたという流れだ。
ラームは全米オープン前の取材で、メモリアル前にワクチン接種は済ませていたものの、陽性判定時点では接種から14日が経っておらず、完全接種扱いになる前だったと説明している。同時に、ツアーの規則は明確で、必要な対応が取られたという趣旨も話していた。
次に出場した大会で、初メジャー
メモリアルの翌週、6月10日から13日にはパルメット選手権が開催されたが、ラームは出場していない。隔離と再検査を経て、次に実際に競技へ戻ったのが6月17日開幕の全米オープンだった。
舞台はトーリーパインズ。ラームは69、70、72と回り、最終日は67。通算278、6アンダーで大会を終えた。
決着を引き寄せたのは最後の2ホールだった。17番、18番を連続バーディー。ルイ・ウーストハイゼンを1打上回り、初のメジャー優勝を決めた。USGAは、ラームをスペイン人として初めてUSGA選手権を制した選手として記録している。
6月5日には、6打差首位でも翌日のティーに立てなかった。6月20日には、次に出場した大会の18番をバーディーで締め、メジャーチャンピオンになった。
この2週間が優勝を生んだと示す証拠はない。残るのは、当時の感染対策で競技が強制的に途切れたこと、その条件を満たして復帰した次戦で、ラーム自身が初メジャーを取り切ったという事実だ。
出典:PGA TOUR(2・3・4) / USGA / victory.usopen.com(2)
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