世界1位アマがランキング圏外へ カントレーをつないだ「10試合」
GOLF DNA編集部🇺🇸

3行まとめ
- 世界アマ1位を計55週守ったパトリック・カントレーは、腰の疲労骨折で長期離脱し、2017年の復帰時には世界ランキング圏外だった。
- PGA TOURの医療特例で与えられたのは10試合。
- 復帰2戦目のバルスパー選手権で単独2位、68万400ドルを稼ぎ、資格条件を一気に満たした。
2017年2月、AT&Tペブルビーチ・プロアマに戻ってきたパトリック・カントレーは、世界ランキングに名前がなかった。
学生時代には世界アマチュアランキング1位を計55週。2011年には、その年の世界最上位アマに贈られるマコーマックメダルを受賞している。
世界の頂点に近かった21歳は、数年後、「ランキング圏外」からプロ生活をやり直すことになった。
世界1位から、ランキングなしまで
転機は2013年5月。カントレーはColonialの第2ラウンド前、練習場でアイアンを打っている最中に腰へ痛みを感じて棄権した。
すぐ治ると思っていたが、痛みは消えない。PGA TOURの長文記事によると、約2カ月後に腰の疲労骨折と診断された。
同年秋は資格をつなぐためWeb.com Tourに3試合出場。2014年もPGA TOURでプレーしたが、本人によれば5試合はいずれも痛みのない状態ではなかった。2014年11月のOHL Classicを最後に、PGA TOURの舞台から長く離れる。
2016年1月には復帰準備中に再び腰が悪化し、さらに約9カ月はプレーできないと告げられた。
2017年のペブルビーチ復帰時、かつて55週も世界アマ1位だった選手は世界ランキング圏外にいた。
復帰の切符は「10試合」だった
そこで使われたのが、PGA TOURのMajor Medical Extension、長期故障者向けの医療特例だった。
これは過去の実績だけでずっと出場資格を守ってくれる制度ではない。カントレーに与えられたのは10試合。限られた出場機会の中で、必要な成績を残して資格を取り戻さなければならなかった。
最初のペブルビーチは48位タイ。
そして復帰2戦目、2017年3月のバルスパー選手権で一気に状況が変わる。
カントレーは通算13アンダー、単独2位。獲得賞金は68万400ドル、FedExCupポイントは300だった。
大会公式記録は、この2位によって医療特例の条件を満たしたと明記している。当時のPGA TOUR公式メディア資料では、必要額は62万4746ドル。10試合を全部使う前に、2戦目で金額基準を超えた。
復帰戦が「戻ってこられた試合」なら、2戦目は「この先もツアーに残れる試合」になった。
その年のうちに、今度は優勝者になった
2017年11月、シュライナーズ・ホスピタルズ・フォー・チルドレン・オープンでプレーオフを制し、PGA TOUR初優勝。2年間の優勝者免除を手にし、世界ランキングもトップ50へ戻った。
さらに2021年、BMW選手権ではブライソン・デシャンボーとの6ホールに及ぶプレーオフを制してFedExCup首位で最終戦へ。TOUR Championshipでもジョン・ラームを1打差で抑え、FedExCup年間王者になった。
2026年9月26日時点のPGA TOUR公式記録では、通算8勝である。
医療特例が守ったのは「勝利」ではなく「入口」
医療特例がカントレーを年間王者にしたわけではない。腰の治療法が、その後の8勝を生んだとも断定できない。
制度がしたことはもっと地味だ。
故障で長く試合に出られなかった選手に、「実力をもう一度示すための有限の出場機会」を残した。
カントレーの場合、その猶予は10試合だった。そして彼は2試合目で条件をクリアした。
プロゴルフは結果の世界だが、結果を出す前に出場の入口を失えば、実力を証明することすらできない。
世界1位アマからランキング圏外へ落ちた選手をつないだのは、勝利を保証する救済ではなかった。
もう一度、自分のスコアで居場所を取り返せる10回のチャンスだった。
出典:PGA TOUR(2・3・4) / USGA / valsparchampionship.com / pgatourmedia.pgatourhq.com
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