和合のフェアウェイに馬糞10cm以上――ゴルフ場が「大都市の条件」だったころ
GOLF DNA編集部🇯🇵
3行まとめ
- 和合コースの造成では、フェアウェイ全面にも馬糞を10cm以上敷いたと年史に残る。
- そもそもの発想は、名古屋に飛行場・ホテル・ゴルフ場が必要だという都市構想だった。
- ゴルフに詳しくない発起人が動かした、1929年開場までの道のりをたどる。
和合コースの造成では、フェアウェイ全面に馬糞を10cm以上敷いた。豊橋から貨車で運んだという回想も残る。日本ゴルフ協会のGOLFPEDIAが紹介する名古屋ゴルフ倶楽部の年史には、芝を育てるためにそこまでした記録がある。
なぜ、そこまでしてゴルフ場を造ったのか。出発点はゴルフ人気というより、名古屋を東京・大阪に並ぶ都市にしたいという構想だった。
飛行場、ホテル、そしてゴルフ場
計画を進めたのは、松坂屋創業家の第15代当主で、名古屋商業会議所や名古屋ロータリークラブの会長も務めた伊藤次郎左衛門祐民。飛行場、ホテル、ゴルフ場を「大都市の条件」と考え、名古屋にも必要だと訴えた。本人はゴルフをほとんど知らなかったという。
実務を担った八木冨三は各地のコースを見学し、18ホール、資本金25万円という計画をまとめた。名古屋ロータリークラブの有志に求めた出資は1人1万円。1928年5月の会社設立時、約60人の株式引受人のほとんどが同クラブのメンバーだった。
設計家が難色を示した土地
候補地は名古屋中心部から約20km東の和合。設計を頼まれた大谷光明は、敷地の狭さ、細かな起伏、芝が育ちにくい土質を問題にした。倶楽部側は土地を買い足し、削り、埋め、資金が足りなくなると増資した。
土壌改良の記録は、その苦労を最も具体的に伝える。グリーンとティーだけでなくフェアウェイ全面にも馬糞を10cm以上敷き、上から土をかぶせたという。馬糞を豊橋の騎兵旅団から貨車で運んだとの回想も、GOLFPEDIAに記されている。
1929年9月15日、和合は18ホール、6063ヤード、パー69で開場した。現在、倶楽部公式サイトが案内するのは18ホール、パー70。開場時と今のパーを混同せずに見たい。
コースの歴史をたどると、芝の下にまで都市づくりの意思が見えてくる。ゴルフをよく知らなかった発起人が、まず都市の将来像にゴルフ場を置いた。その構想を形にするため、難しい土地に手を入れ続けたのである。
出典:jga-golfpedia.jp / nagoyagolfclub-wago.com
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