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木の 枝で 空き缶を 打っていた 少年が、 パーマーを 破る ゴルファーに
クラブはグアバの木の枝。ボールは丸めた空き缶。プエルトリコの少年がゴルフを覚えるために使った道具だ。
少年の名はチチ・ロドリゲス。米国男子ツアーで8勝、米国シニアで22勝を挙げ、1992年に世界ゴルフ殿堂入りした選手である。1964年のウェスタン・オープンでは、アーノルド・パーマーを1打差で破っている。
枝と缶の逸話は、全米ゴルフ協会(USGA)や世界ゴルフ殿堂が伝記として紹介している。特別な練習法が名選手を生んだ、という話ではない。道具がそろわない少年にも、球を打つ遊びの入口があったという話だ。
ゴルフ場は、まず働く場所だった
USGAによれば、ロドリゲスは7歳でサトウキビ畑の父親を手伝い、8歳でキャディーを始めた。陸軍での勤務を経て、プエルトリコのドラド・ビーチでキャディーマスターとして働きながら腕を磨き、1960年にプロになった。
初優勝は1963年のデンバー・オープン。その賞金で母親に家を買ったとUSGAは記す。翌年にはパーマーを上回る勝利が続いた。枝と空き缶の少年から、家族を支えるプロになるまでには、仕事と競技を重ねた時間があった。
一方で、彼は勝利数だけで記憶される選手ではなかった。バーディを決めると帽子でカップを覆い、後にはパターを剣のように振って見えない鞘へ収めた。おなじみの「剣の舞」だ。
帽子が使えなくなって、パターが剣になった
2003年のGolf Digestの本人インタビューには、演出を変えた経緯が残っている。帽子をカップに投げかぶせる仕草は観客に受けたが、ほかの選手からカップを傷めるという苦情が出た。別の演出を求められ、考えたのが剣の舞だったという。
本人はその演技を闘牛になぞらえて説明した。球が入った時点で勝負はついている。それでもパターを振り、鞘へ戻すところまでが観客に見せるひと幕だった。
ロドリゲスは1979年、子どもたちを支援する財団を設立した。2024年8月8日に88歳で亡くなった後も、財団はフロリダ州クリアウォーターで、地元の公立学校と連携するアカデミーを案内している。
財団の説明では、学校側が教員や授業を担い、財団側が施設やゴルフ教育などを提供する。ゴルフ場と練習場の収益も教育事業を支える仕組みだ。
8歳のチチにとって、ゴルフ場は仕事と出会う場所だった。後に彼が残したゴルフ場では、子どもたちが教室の外で学んでいる。枝で缶を打った少年の話には、ツアー優勝とは別の、その先もある。
3行まとめ
- チチ・ロドリゲスは少年時代、グアバの枝をクラブに、丸めた空き缶をボールにしてゴルフを覚えた。
- 1964年にはアーノルド・パーマーを1打差で破り、後に世界ゴルフ殿堂入り。
- パターを剣に見立てる演出でも親しまれた。
出典:USGA / worldgolfhalloffame.org / victory.usopen.com / Golf Digest / chichi.org
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