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東大に18ホールのゴルフ場があった 検見川の芝生は東京五輪の舞台へ

東京大学の土地に、18ホールのゴルフ場があった。場所は本郷ではなく、千葉市の検見川。現在の検見川総合運動場だ。

検見川の土地に重なるゴルフとサッカーの歴史を象徴する、革のサッカーボールと遠景のゴルフ旗の概念イラスト。実在の会場配置の再現ではない

『ゴルフグローバル』の歴史記事によると、1953年9月に9ホールで開場し、後に18ホール、3891ヤード・パー63へ拡張された。短いコースとはいえ、授業用の打席だけではない。大学の公式回顧にも、一般のゴルファーが利用し、教養学部の体育授業にも一部使われたことが記されている。

ゴルフ場になる前は、運動場の予定だった

東大の記録をたどると、検見川はもともと総合運動場として計画された土地だった。1938年には学生たちが地ならしに参加したが、戦時中は食料難に対応する農場へ転用。戦後、食料供給の役割が薄れると、OB有志によってゴルフ場になったという。

しかし1962年、国会での指摘を契機に、本来の総合運動場へ戻ることになる。『ゴルフグローバル』は、当時の新聞や資料を参照し、土地の目的と収入管理が問題になり、4月に廃止されたと紹介している。

「国会がゴルフ場を直接廃止した」という話ではない。大学側が用途を見直すきっかけになった、という経緯だ。

芝生を、東京五輪の選手に

そこで価値を持ったのが、広い芝地だった。東大の回顧によれば、東京五輪へ向けた選手強化に関わっていた体育学者の加藤橘夫が、芝生の練習場が少ないことに着目。検見川を活用する案が受け入れられ、国費と日本体育協会の支援で整備が進んだ。

1964年にはサッカー日本代表が3か月間の強化合宿を実施。同年の東京五輪では、近代五種の最終種目だったクロスカントリーの会場にもなった。

ゴルフ場を閉めた後、その土地が別の競技の準備と本番を支えたのである。旧フェアウェイをそのままサッカー場にしたという意味ではなく、総合運動場として改めて整備された点は押さえておきたい。

それでも、ゴルフの記憶は残る

面白いのは、廃止とゴルフ設備の消滅が、同時ではなかったらしいことだ。

川淵三郎は2025年の日刊ゲンダイの本人インタビューで、1963年の代表合宿時に検見川でクラブを握ったと回想している。短いホールなどが計3ホールほどと、ネットで囲まれた練習場が残り、貸しクラブもあったという。これは本人の記憶で、当時の施設配置を確定する図面とは区別して読める。

いまの大学の案内に並ぶのは、5面のサッカー場、8面のテニスコート、クロスカントリーコースなど。18ホールを回れるゴルフ場ではない。

ゴルフの球を打っていた芝地が、代表選手を鍛え、五輪選手が走る場所になった。検見川には、コースがなくなった後にも続くスポーツの歴史がある。

3行まとめ
  • 千葉の東大・検見川には、かつて18ホールのゴルフ場があった。
  • その土地は1964年東京五輪でサッカー代表の合宿地と近代五種の競技会場になった。
  • ゴルフ場は国会での指摘を契機に廃止され、総合運動場へ整備された。

GOLF DNA編集部🇯🇵

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出典:u-tokyo.ac.jp(2) / golf-global.jp / nikkan-gendai.com

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川奈の150ヤードは本当の砲台跡 8番の代わりにも使われた「大倉ホール」

3行まとめ
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