国・地域未確認 · 男子・アマチュア
一色虎児
人物と歩み
三井物産のニューヨーク駐在中にゴルフを覚え、1916年に日本人として初めて日本アマへ出場した実業家。選手としての挑戦に加え、北海道のゴルフ場づくりにも関わった。
明治学院の学院史には、1894年3月の卒業生として一色虎児の名が残る。三井物産のニューヨーク支店で働く間にゴルフを覚え、帰国後は東京ゴルフ倶楽部の会員となった。1916年に横浜・根岸で行われた第10回日本アマへ日本人として初めて出場し、36ホール200打、14人中13位。1918年の駒沢での大会では5位となった。
その後、日本製鋼所の取締役となり、水谷叔彦とともにイタンキゴルフクラブ設立の中心人物となった。クラブは1929年12月に発足し、1931年に室蘭ゴルフ倶楽部へ改称している。海外で覚えたゴルフを自分でプレーするだけでなく、地域で競技を楽しむ場の創設にもつなげた人物だった。
生涯全体を裏付ける資料が少ないため、確認できる競技・活動の記録を中心に紹介しています。
ゴルフ史でたどるキャリア
全米プロが始まる。日本アマにも、日本人の初出場。
JGAの回顧によれば、米国でゴルフを覚えた一色虎児が、日本人として初めて日本アマに出場した。14人中13位だったが、外国人中心だった選手権へ日本人が加わる一歩となった。
1916年のゴルフ史を読む →駒沢で井上信が勝つ。日本アマ、初の日本人王者。
井上に続いたのは川崎肇、大谷光明、高木喜寛、一色虎児。JGAの回顧は、日本人が上位5人を占めたことを記す。1916年の初出場から2年、日本人が選手権の優勝争いを担うようになった。
1918年のゴルフ史を読む →
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