1916年
全米プロが始まる。日本アマにも、日本人の初出場。
マグレガー・デイトンを時代のアイコンに、世界・日本の選手権、女性たちの競技まで振り返る。米国でプロの団体と新しい選手権が生まれた。日本では、根岸の日本アマに一色虎児が出場した。
この時代のドライバー

マグレガー・デイトンの1915年頃の型を、この時代のドライバーのアイコンに選んだ。写真はLouisville Golf製の現代の復刻品で、当時の現物ではない。この年の新発売や使用率首位を意味しない。
この年の主役と、賞金の記録
SEASON LEADERS米男子は記録がある1934年以降の年間賞金首位、それ以前は全米王者。女子と日本は当時の主要選手権を取り上げる。選手権の優勝を年間賞金王とは数えない。
米男子 · 全国選手権
1916年
全米オープン優勝
採用したPGA歴代年間賞金首位表は1934年から。この欄は賞金王を推測せず、この年の全米王者を掲載する。優勝者はアマチュア。
米女子 · アマチュア選手権
1916年
全米女子アマチュア優勝
LPGA創設は1950年。この年は女子の全国選手権優勝者を掲載し、プロの年間賞金女王とは扱わない。
日本男子 · 全国選手権
1916年
日本アマチュア優勝
日本の現行ツアー制は1973年開始。この欄は選手権の勝者で、年間賞金王ではない。
日本女子 · 競技の背景
1916年
女子プロ賞金制度の成立前
倶楽部から競技が育つ時代
女子プロ部門の発足は1967年、歴代賞金女王表は1968年から。女性がプレーしていなかったという意味ではなく、後年の賞金ランキングをこの年へ遡らせない。
主要選手権の勝者を、一望する
MAJOR CHAMPIONS1916年に起きたこと
WORLD & JAPAN世界のゴルフ
全国選手権の勝者、女性たちの競技、道具と時代の変化。
- 年間
- 年間
全英オープンは戦争で休止
第一次世界大戦の影響で全英オープンは開かれなかった。全英の休止は1915〜1919年。米国の全国選手権とは空白の始まる年が異なる。
- 年間
- 年間
- 年間
全米女子アマはアレクサ・スターリング
アレクサ・スターリングが全米女子アマチュアを制した。LPGA創設前の女性たちの主要な競技舞台を示す結果で、後の女子プロメジャーや年間賞金女王とは区別して掲載する。
- 道具
ヒッコリーの道具を、原型と復刻から知る
マグレガー・デイトンは1915年頃の原型を持つ木製シャフト時代のドライバー。掲載写真は現代の復刻品で、当時の選手がこの個体を使ったという意味ではない。今の復刻品の素材仕様を、戦前の仕様へそのまま遡らせない。
日本のゴルフ
選手権の結果に、倶楽部や競技団体の歩みを重ねて読む。
- 年間
日本アマチュアはE・I・M・バレット
NRCGA根岸コースでE・I・M・バレットが日本アマチュアを制した。合計157打で優勝した。プロの賞金王とは別に、日本のアマチュア競技の主役を記録する。
- 年間
一色虎児が日本人として初出場
日本アマチュアには一色虎児が日本人として初めて出場し、14人中13位。優勝したのはE・I・M・バレットだった。初参加の足跡と優勝記録の両方を残すと、外国人中心だった競技の輪が広がる過程が見えてくる。
- 年間
この年を、もう少し深く
STORIES OF 1916ニューヨークで、プロの団体が生まれる。
PGA of Americaは、1916年にニューヨークで設立された。同年10月10〜14日、シワノイで最初のPGA選手権、現在の全米プロが行われた。当時はホールごとに勝敗を競うマッチプレーだった。
最後のグリーンで、バーンズが1アップ。
決勝はジム・バーンズとジョック・ハッチソン。36ホール目を迎えて同点だった。最後は二人が短いパットを残し、先に打ったハッチソンが外す。バーンズが決め、1ホール差で最初の王者になった。
根岸の日本アマへ、一色虎児が出る。
JGAの回顧によれば、米国でゴルフを覚えた一色虎児が、日本人として初めて日本アマに出場した。14人中13位だったが、外国人中心だった選手権へ日本人が加わる一歩となった。