日本と 米国では、 ゴルフが 一般層に 広がった 時期と きっかけは どう 違う?
地域ゴルフ史
まず答え
米国では第一次世界大戦後から公共コース利用者が大きく増え、1922年には公共コース選手向けの全米選手権が作られるほど普及していました。日本では1957年のカナダカップ日本勢優勝とテレビ中継が大きな節目となり、1959年頃からコース数・ゴルフ人口が急増したとJGAは説明しています。
詳しい解説
日本と米国では、ゴルフが一般層へ広がった時期も、普及を加速した仕組みも同じではありません。
米国では、第一次世界大戦後に公共コースを利用するゴルファーと、自治体・日額制のコースが増えていきました。USGAは、1922年にはpublic golfが非常に人気になっていたため、私設クラブ会員でなくても全国大会へ出られるU.S. Amateur Public Links Championshipを創設したと記録しています。つまり、1920年代初頭には「私設クラブの会員だけではないゴルファー」が大きな層として存在していました。
日本では、JGAが大衆化の大きな契機として1957年の第5回カナダカップを挙げています。霞ヶ関カンツリー倶楽部で中村寅吉・小野光一組が団体優勝し、その快挙がテレビ実況で一般家庭へ伝わったことで、ゴルフが広く知られるようになったとしています。JGAによれば、それをきっかけに1959年頃からゴルフ場数とゴルフ人口が急速に増えました。
したがって、米国では公共コースの増加と公共コース選手向け競技の整備が早い段階の大衆化を示すのに対し、日本では戦後の経済成長期に、国際大会での日本勢の活躍とテレビという大衆メディアが普及を強く後押しした、という違いがあります。
ただし、これは「米国は1922年、日本は1957年に突然大衆化した」という意味ではありません。両国ともそれ以前からゴルフは存在し、その後も料金、交通、コース供給、経済状況など多くの要因が参加層を広げています。ここでの年代は、公式史料で確認できる大きな普及の節目として見るのが適切です。