国・地域未確認 · 男子・一般
アルノー・マッシー
Arnaud Massy
日本語名は仮表記です。英語名を併記しています。
人物と歩み
ビアリッツでキャディーから競技を始め、フランスから全英王者になった先駆者。若くしてノースバーウィックへ渡り、練習を重ねた。
最初は手に入った左用クラブで打ち、後に右打ちへ変更した。1907年、風の強いホイレイクでテーラーを逆転して全英を制した。
フランス、ベルギー、スペイン各オープンの初代優勝者でもある。第一次世界大戦への従軍を挟み、後年もフランスのクラブでプロを務め、国内のゴルフを育てた。
母国フランスのオープンを4度制し、48歳でも優勝した。スペイン・オープンではさらに後年まで勝ち、国境を越えて競技を広げた長いキャリアを持つ。
ゴルフ史でたどるキャリア
フランスのマッシーが全英王者に。日本アマも始まる。
この全英では初めて、すべての出場者に予選通過を求めた。前年の183人に対し、本戦へ進んだのは67人。強風の中、フランスのアルノー・マッシーが最初の76打で首位に並んだ。
最終ラウンド前はJ・H・テーラーが1打リード。マッシーは77打、テーラーは80打となり、合計312打でマッシーが2打差の優勝を決めた。ヨーロッパ大陸の選手として初の全英王者となった。
1907年のゴルフ史を読む →303打で並んだ二人。バードンの5勝目は延長戦で。
バードンは74・74・75の後、最後は80打で合計303打。フランスのアルノー・マッシーが76打で追いついた。サンディー・ハードとハロルド・ヒルトンは、最終ホールで同点へ届かず3位となった。
36ホールを予定した延長戦で、バードンは午前の74打で5打リード。34ホール終了時には10打差がついた。次のホールでバードンが向かい風へ2打でグリーンを捉えると、マッシーは敗北を認めた。
1911年のゴルフ史を読む →故郷で勝った、米国籍のハッチソン。ジャグが海を渡る。
翌日のプレーオフでハッチソンは74・76の150打、ウェザレッドは77・82の159打。米国籍選手として初めて、クラレット・ジャグを手にした。1907年のマッシーに続く、英国以外の選手の優勝だった。
1921年のゴルフ史を読む →見えないグリーンへ175ヤード。ジョーンズ、初めての全英。
17番では砂地から、砂丘に隠れたグリーンを狙った。使ったのはアイアンの一種、マッシー・ニブリック。175ヤードの一打はワトラスより近くに止まり、相手は3パット。ジョーンズの一打が勝負を動かした。
1926年のゴルフ史を読む →
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