ゴルフ史

1907年

フランスのマッシーが全英王者に。日本アマも始まる。

マグレガーの木製ドライバーを道具のアイコンに、当時の選手権の勝者と、ゴルフが広がる歩みを振り返る。風のホイレークで、アルノー・マッシーがテーラーを逆転した。日本ではクラブ同士の対抗戦から、新しい選手権の話が生まれた。

この時代のドライバー

マグレガーの木製ドライバー。館蔵目録が1900〜1919年の範囲に置く、マグレガーの木製ドライバー。添付札の年代表示は1900年。実物写真を時代のアイコンとして使い、単年の発売モデルや王者の使用品とは断定しない。

マグレガーの木製ドライバー。館蔵目録が1900〜1919年の範囲に置く、マグレガーの木製ドライバー。添付札の年代表示は1900年。実物写真を時代のアイコンとして使い、単年の発売モデルや王者の使用品とは断定しない。

選手権を制した主役たち

SEASON LEADERS

確認できる主要選手権の優勝者を掲載。記録のない年間賞金順位や、創設前の大会の勝者は補わない。

  • 英国男子 · オープン選手権

    1907年

    アルノー・マッシー

    全英オープン優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 米男子 · オープン選手権

    1907年

    アレックス・ロス

    全米オープン優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 米女子 · アマチュア選手権

    1907年

    マーガレット・カーティス

    全米女子アマチュア優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 日本男子 · アマチュア選手権

    1907年

    A・B・ローソン

    日本アマチュア優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

この時代は年間賞金王の欄を無理に揃えず、主要選手権の勝者で振り返る。全英アマは1885年、全英女子アマは1893年、全米の3選手権は1895年から。オープンとアマチュア選手権を一つのプロメジャー数へ合算しない。全英は1892年、全米オープンは1898年に36ホールから72ホールへ変わる。

当時の主要選手権を見渡す

MAJOR CHAMPIONS

1907年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

英国と米国の選手権、女性の競技、道具と大会の変化。

  1. 年間

    全英オープンはアルノー・マッシー

    アルノー・マッシーが全英を制した。本戦72ホールの合計は312打。舞台はロイヤル・リバプール。リンクスの風や地形を相手に、その年の王者が生まれた。

  2. 年間

    全英アマチュアはジョン・ボール

    ジョン・ボールがSt Andrewsで全英アマチュアを制した。決勝結果は6&4。ホールごとの勝敗を争うマッチプレーだった。オープンの合計打数とは別に、アマチュアの王者をたどる。

  3. 年間

    全米オープンはアレックス・ロス

    アレックス・ロスが本戦72ホールを302打で回り優勝。英国とは別に、米国のコースでもオープン選手権の歴史が積み重なっていく。

  4. 年間

    全米アマチュアの頂点はジェローム・トラバース

    ジェローム・トラバースが全米アマチュアを制した。プロとアマが同じフィールドで戦う全米オープンとは別の選手権。アマチュアのタイトルも、この時代の主役を知る重要な記録だ。

  5. 年間

    全英女子アマチュアはM・ヘズレット

    M・ヘズレットがCounty Downで優勝。決勝結果は1 hole。1893年に始まった女性たちの主要選手権で、後年の女子プロの賞金順位やメジャーとは分けて振り返る。

  6. 年間

    全米女子アマチュアはマーガレット・カーティス

    マーガレット・カーティスが全米女子アマチュアを制した。1896年からの大会はマッチプレー。全米女子オープンが始まる1946年より前から、女性たちが競う全国選手権は続いていた。

  7. 年間

    フランスから来た全英王者

    アルノー・マッシーが全英を制した。英国のリンクスで育った競技に、大陸ヨーロッパからの王者が加わる。同じ年、日本では神戸と根岸の対抗戦から日本アマチュアが始まった。

  8. 道具

    道具のアイコンは、マグレガーの木製ドライバー

    マグレガーの木製ドライバー。館蔵目録が1900〜1919年の範囲に置く、マグレガーの木製ドライバー。添付札の年代表示は1900年。実物写真を時代のアイコンとして使い、単年の発売モデルや王者の使用品とは断定しない。この年の選手全員が同じモデルを使った、という意味ではない。

日本のゴルフ

この年の競技結果や、倶楽部での取り組みを読む。

  1. 年間

    日本アマチュアはA・B・ローソン

    神戸GC六甲コースでA・B・ローソンが日本アマチュアを制した。記録は合計159打。全国のプロツアー賞金順位が成立する前、倶楽部を舞台にアマチュアの競技が育っていた。

  2. 年間

    神戸と根岸の対抗戦から日本アマへ

    インターポートマッチで両倶楽部が競い、個人の成績も日本アマチュアの起点となった。日本オープンや日本プロの創設前に、まずアマチュアの選手権が育っている。

  3. 年間

    運動用ウエアの製造が始まる

    水野兄弟商会は、米国の野球文化に感銘を受けた水野利八の考えをもとに、運動用ウエアの製造を始めた。国内のゴルフ競技が神戸と根岸で育つ年、後のミズノはスポーツ用品の事業を広げていた。

この年を、もう少し深く

STORIES OF 1907

全員が予選を通る大会に。

この全英では初めて、すべての出場者に予選通過を求めた。前年の183人に対し、本戦へ進んだのは67人。強風の中、フランスのアルノー・マッシーが最初の76打で首位に並んだ。

1打差を追い、77打で逆転する。

最終ラウンド前はJ・H・テーラーが1打リード。マッシーは77打、テーラーは80打となり、合計312打でマッシーが2打差の優勝を決めた。ヨーロッパ大陸の選手として初の全英王者となった。

神戸と根岸の対抗戦から、日本アマへ。

JGAの回顧によれば、神戸と根岸のクラブ対抗戦後の懇談で、日本アマチュア選手権を開く提案があった。同年10月に第1回を開催。当初の参加者は在日外国人が中心で、日本人の初出場は1916年となる。