ゴルフ史

1911年

303打で並んだ二人。バードンの5勝目は延長戦で。

A.マクラーレンのドライバーを道具のアイコンに、当時の選手権の勝者と、ゴルフが広がる歩みを振り返る。8年ぶりの優勝へ、ハリー・バードンはマッシーと追加36ホールの勝負へ進んだ。その決着は、最後まで打ち切る前に来た。

この時代のドライバー

A.マクラーレンのドライバー。1908〜10年頃と記録されたA.マクラーレンのドライバー。ホノルルの刻印がある館蔵品の実物写真。この年の新発売や日本での販売を示すものではない。

A.マクラーレンのドライバー。1908〜10年頃と記録されたA.マクラーレンのドライバー。ホノルルの刻印がある館蔵品の実物写真。この年の新発売や日本での販売を示すものではない。

選手権を制した主役たち

SEASON LEADERS

確認できる主要選手権の優勝者を掲載。記録のない年間賞金順位や、創設前の大会の勝者は補わない。

  • 英国男子 · オープン選手権

    1911年

    ハリー・バードン

    全英オープン優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 米男子 · オープン選手権

    1911年

    ジョン・マクダーモット

    全米オープン優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 米女子 · アマチュア選手権

    1911年

    マーガレット・カーティス

    全米女子アマチュア優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 日本男子 · アマチュア選手権

    1911年

    E・G・フラッグレイ

    日本アマチュア優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

この時代は年間賞金王の欄を無理に揃えず、主要選手権の勝者で振り返る。全英アマは1885年、全英女子アマは1893年、全米の3選手権は1895年から。オープンとアマチュア選手権を一つのプロメジャー数へ合算しない。全英は1892年、全米オープンは1898年に36ホールから72ホールへ変わる。

当時の主要選手権を見渡す

MAJOR CHAMPIONS

1911年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

英国と米国の選手権、女性の競技、道具と大会の変化。

  1. 年間

    全英オープンはハリー・バードン

    ハリー・バードンが全英を制した。本戦72ホールの合計は303打。同点から延長戦を勝ち抜いての優勝だった。

  2. 年間

    全英アマチュアはハロルド・ヒルトン

    ハロルド・ヒルトンがPrestwickで全英アマチュアを制した。決勝結果は4&3。ホールごとの勝敗を争うマッチプレーだった。オープンの合計打数とは別に、アマチュアの王者をたどる。

  3. 年間

    全米オープンはジョン・マクダーモット

    ジョン・マクダーモットが本戦72ホールを307打で回り優勝。同点で並んだ後、プレーオフを制した。英国とは別に、米国のコースでもオープン選手権の歴史が積み重なっていく。

  4. 年間

    全米アマチュアの頂点はハロルド・ヒルトン

    ハロルド・ヒルトンが全米アマチュアを制した。プロとアマが同じフィールドで戦う全米オープンとは別の選手権。アマチュアのタイトルも、この時代の主役を知る重要な記録だ。

  5. 年間

    全英女子アマチュアはドロシー・キャンベル

    ドロシー・キャンベルがRoyal Portrushで優勝。決勝結果は3&2。1893年に始まった女性たちの主要選手権で、後年の女子プロの賞金順位やメジャーとは分けて振り返る。

  6. 年間

    全米女子アマチュアはマーガレット・カーティス

    マーガレット・カーティスが全米女子アマチュアを制した。1896年からの大会はマッチプレー。全米女子オープンが始まる1946年より前から、女性たちが競う全国選手権は続いていた。

  7. 年間

    ヒルトンが、全英・全米のアマを同じ年に

    ハロルド・ヒルトンは全英アマチュアと全米アマチュアを制した。二つの優勝はアマチュアの選手権であり、全英・全米オープンの同年二冠という意味ではない。

  8. 道具

    道具のアイコンは、A.マクラーレンのドライバー

    A.マクラーレンのドライバー。1908〜10年頃と記録されたA.マクラーレンのドライバー。ホノルルの刻印がある館蔵品の実物写真。この年の新発売や日本での販売を示すものではない。この年の選手全員が同じモデルを使った、という意味ではない。

日本のゴルフ

この年の競技結果や、倶楽部での取り組みを読む。

  1. 年間

    日本アマチュアはE・G・フラッグレイ

    神戸GC六甲コースでE・G・フラッグレイが日本アマチュアを制した。記録は合計152打。全国のプロツアー賞金順位が成立する前、倶楽部を舞台にアマチュアの競技が育っていた。

  2. 年間

    芝のグリーンも試した六甲

    神戸では砂のグリーンに代わるグラスグリーンを試みたが、この時点では断念した。後の改修の成功をこの年へ前倒しせず、山上で芝を育てる試行錯誤として振り返る。

  3. 年間

    運動用具の生産を計画する

    美津濃商店は運動用具の生産を計画した。用品の販売に加え、自分たちで作るスポーツ用品へ事業を進める過程として、企業史に記された節目だ。

この年を、もう少し深く

STORIES OF 1911

最後にマッシーが追いつく。

バードンは74・74・75の後、最後は80打で合計303打。フランスのアルノー・マッシーが76打で追いついた。サンディー・ハードとハロルド・ヒルトンは、最終ホールで同点へ届かず3位となった。

延長戦は34ホールで10打差。

36ホールを予定した延長戦で、バードンは午前の74打で5打リード。34ホール終了時には10打差がついた。次のホールでバードンが向かい風へ2打でグリーンを捉えると、マッシーは敗北を認めた。

ブレイドに並ぶ5勝。前の優勝から8年。

バードンの優勝は1903年以来。前年のジェームズ・ブレイドに続き、全英5勝へ到達した。延長戦を制した王者は、3年後のプレストウィックで、さらに一つ多い6勝へ進む。