国・地域未確認 · 男子・一般
サンディー・ハード
Sandy Herd
日本語名は仮表記です。英語名を併記しています。
人物と歩み
セントアンドリュース出身で、長い競技生活と素早いプレーで知られたプロ。全英には1885年から1933年まで出場した。
1902年、友人ジョン・ボールとの練習で試した糸巻きのハスケル球を使い、バードンとブレイドを1打差で破った。この勝利は新しい球の普及を後押しした。
全英2位も4回あり、58歳で英国のプロ・マッチプレーを制した。長くクームヒルのプロを務め、弟フレッドも全米王者となった。
構えてから打つまでが非常に速い選手で、ホールインワンは19回と伝えられる。クームヒルのクラブプロを長く務め、70歳近くまで高い水準で大会に出場した。
ゴルフ史でたどるキャリア
テーラーの連覇。海の向こうでは、最初の全米。
全英の最終ラウンドで、テーラーは首位を3打差で追っていた。足をしっかり据え、球を低く打つプレーで、強まる雨風の中を78打。合計322打とし、サンディー・ハードに4打差で連覇を決めた。
1895年のゴルフ史を読む →11打差からの逆転。バードンと、オールド・トム最後の全英。
ミュアフィールドで、ハリー・バードンは最初に83打を打ち、首位のサンディー・ハードから11打差。それでも78・78・77と続け、合計316打でJ・H・テーラーに並んだ。
1896年のゴルフ史を読む →糸巻きボールで、1打差。ハードが全英を制す。
サンディー・ハードは地元のアマチュア、ジョン・ボールとの練習でハスケル・ボールを試した。ゴムの芯にゴム糸を巻いた球を、全英でも使用。ガッタパーチャの球が主流だった大会に、新しい構造が勝者とともに登場した。
1902年のゴルフ史を読む →消えた76打、もう一度76打。ブレイドが全英5勝目。
サンディー・ハードが4打差の2位。ブレイドは1901年の初優勝から、10回の全英で5勝を挙げた。セントアンドリュースとミュアフィールドでは、それぞれ2度の優勝を重ねた。
1910年のゴルフ史を読む →303打で並んだ二人。バードンの5勝目は延長戦で。
バードンは74・74・75の後、最後は80打で合計303打。フランスのアルノー・マッシーが76打で追いついた。サンディー・ハードとハロルド・ヒルトンは、最終ホールで同点へ届かず3位となった。
1911年のゴルフ史を読む →13打差からの逆転。新しいドライバーと、戻ってきた全英。
翌日は71打、72打で合計303打。ミッチェルが84・76と崩れ、52歳のサンディー・ハードが305打で2位となった。1910年には最後のラウンドで優勝を逃したダンカンが、今度は大きな差を覆して勝った。
1920年のゴルフ史を読む →
プレーを、数字で見る。
この選手のスタッツはまだ収録していません。
賞金・ポイント・順位
この選手の賞金・ポイントはまだ接続できていません。
賞金・ポイントの一覧へ大会結果
接続済みの大会結果はありません。
この選手から、読む。
この選手の関連記事はまだありません。
ニュース一覧を見る →バッグの中を、のぞく。
使用クラブはまだ接続できていません。公開情報で確認できたバッグを順次追加します。
プロフィール
- 国・地域
- 未確認
- 日本語名
- 仮表記(ゴルフ史)