ゴルフ史

1861年

アマチュアも参加。オールド・トムが勝つ。

プロだけだった前年から参加対象が広がり、アマチュアも出場できる大会になった。オールド・トム・モリスが163打で制し、ウィリー・パークは167打で2位となった。 2回目の全英にはアマチュアも参加。前年の2位だったトム・モリスが、初めて王者のベルトを手にした。

この時代のプレークラブ

1850年頃のD.マキューアンのプレークラブ。木製ヘッドと長いシャフトを備える館蔵品を、この時代のドライバーの源流として紹介する。単年の発売モデルや王者の使用品を示す写真ではない。

1850年頃のD.マキューアンのプレークラブ。木製ヘッドと長いシャフトを備える館蔵品を、この時代のドライバーの源流として紹介する。単年の発売モデルや王者の使用品を示す写真ではない。

この年の全英と、主役たち

SEASON LEADERS

年間賞金順位の代わりに、当時の主要選手権とその勝者を紹介する。個別大会の賞金と年間の獲得賞金は区別して読む。

  • 英国男子 · オープン選手権

    1861年

    オールド・トム・モリス

    全英オープン優勝

    プレストウィックで36ホールを163打。この大会の優勝者で、年間賞金王の記録ではない。

プレストウィックで12ホールを3周する36ホールの全英。現在の72ホールと同じ打数の基準で比べない。全英アマチュアは1885年、全英女子アマは1893年から。創設前の大会や未確認の年間賞金順位は並べない。

当時の主要選手権

MAJOR CHAMPIONS

1861年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

選手権の勝負と、クラブや道具の歩み。

  1. 年間

    アマチュアにも開かれた全英

    プロだけだった前年から参加対象が広がり、アマチュアも出場できる大会になった。オールド・トム・モリスが163打で制し、ウィリー・パークは167打で2位となった。

  2. 年間

    最後の12ホールで、勝負を決める

    最初の2周を終えた時点ではパークが2打先行。モリスは最後の周回を53打、パークは59打とし、4打差の逆転優勝につなげた。

  3. 年間

    フランスへの広がりは、すでに始まっていた

    英国以外の歩みもたどると、フランスのポーでは1856年にゴルフクラブが誕生していた。全英の発展と並んで、英国の人々が海外へ伝えたゴルフも少しずつ根を下ろしていた。

  4. 道具

    飛距離を担った、長い木製クラブ

    ティーから遠くへ運ぶ役割を担ったのがプレークラブ。写真は1850年頃のD.マキューアンの館蔵品で、長いシャフトと木製ヘッドを持つ。現代のドライバーへつながる形を、当時の競技の記録と見比べられる。

日本のゴルフ

日本での本格的なクラブの歩みは、1903年の神戸ゴルフ倶楽部の開場へつながる。ここでは、この年に確認できない大会や賞金順位を補わない。

    この年を、もう少し深く

    STORIES OF 1861

    プロだけの競技から、参加者を広げる。

    前年は8人のプロだけで行われた全英。この年はアマチュアにも参加の門戸が開かれ、大会の輪が広がった。舞台は同じプレストウィックだった。

    水際の難しい球を、そのまま打った。

    最後の周回で、オールド・トム・モリスのティーショットは水際の長い草へ。ペナルティーを受けて球を動かすと予想する人もいたが、彼は難しい位置から打つことを選び、成功させた。

    最終周は53打。合計163打で、前年王者ウィリー・パークの167打を4打上回った。モリスは地元のコースで、全英初優勝を果たした。

    ここから、モリスとパークの時代へ。

    最初の2大会で、王者の名前はパーク、モリスと入れ替わった。翌1862年、モリスはさらに大きな差をつけて同じ相手を破ることになる。