1862年
13打差。オールド・トムの圧勝。
オールド・トム・モリスが163打、ウィリー・パークが176打。最初の12ホールで7打差を作り、その差を13打まで広げた。 前年に続いて王者となったモリス。その合計は同じ163打でも、2位との距離は大きく広がった。
この時代のプレークラブ

1850年頃のD.マキューアンのプレークラブ。木製ヘッドと長いシャフトを備える館蔵品を、この時代のドライバーの源流として紹介する。単年の発売モデルや王者の使用品を示す写真ではない。
この年の全英と、主役たち
SEASON LEADERS年間賞金順位の代わりに、当時の主要選手権とその勝者を紹介する。個別大会の賞金と年間の獲得賞金は区別して読む。
英国男子 · オープン選手権
1862年
全英オープン優勝
プレストウィックで36ホールを163打。この大会の優勝者で、年間賞金王の記録ではない。
当時の主要選手権
MAJOR CHAMPIONS男子の主要選手権
- 年間
1862年に起きたこと
WORLD & JAPAN世界のゴルフ
選手権の勝負と、クラブや道具の歩み。
- 年間
13打差で、オールド・トムが連覇
オールド・トム・モリスが163打、ウィリー・パークが176打。最初の12ホールで7打差を作り、その差を13打まで広げた。
- 年間
同じ163打でも、勝負の中身が違う
優勝打数は前年と同じ163打だが、2位との差は4打から13打へ。36ホールという競技の長さと対戦相手の成績を合わせて見ると、数字の意味も変わる。
- 年間
選手権の後にも続いた、直接対決
大会後、パークはモリスに一対一の勝負を申し込んだ。主催者の回顧には、マッセルバラなど複数のコースを舞台にした対決でもモリスが勝ったと記されている。選手権だけがプロの競技ではなかった。
- 道具
飛距離を担った、長い木製クラブ
ティーから遠くへ運ぶ役割を担ったのがプレークラブ。写真は1850年頃のD.マキューアンの館蔵品で、長いシャフトと木製ヘッドを持つ。現代のドライバーへつながる形を、当時の競技の記録と見比べられる。
日本のゴルフ
日本での本格的なクラブの歩みは、1903年の神戸ゴルフ倶楽部の開場へつながる。ここでは、この年に確認できない大会や賞金順位を補わない。
この年を、もう少し深く
STORIES OF 1862最初の12ホールで、7打のリード。
オールド・トム・モリスは最初の周回を52打で回った。ウィリー・パークは59打。わずか12ホールで7打の差がつき、モリスはその後も先頭を譲らなかった。
52、55、56。追いつけなかったパーク。
3周のスコアは52・55・56、合計163打。パークは176打で2位となり、差は13打に達した。前年もモリスの合計は163打だったが、そのときの差は4打だった。
同じコース、同じ36ホール、同じ優勝打数。年を並べると、ひとつの数字だけでは見えない勝負の姿が浮かぶ。
大会が終わっても、対決は続いた。
大会後、パークはモリスに直接対決を申し込んだ。マッセルバラ、プレストウィック、ノースバーウィック、セントアンドリュースを舞台にした勝負でも、モリスが勝利したと大会公式の回顧は伝える。