ゴルフ史

1860年

全英オープンは、8人の大会から始まった。

1859年に名手アラン・ロバートソンが亡くなった後、プレストウィックで新たな王者を決める競技が企画された。集まった8人のプロの中から、ウィリー・パークが174打で初代王者となった。 12ホールのコースを、1日で3周。プレストウィックに集まった8人のプロが、初代王者を争った。

この時代のプレークラブ

1850年頃のD.マキューアンのプレークラブ。木製ヘッドと長いシャフトを備える館蔵品を、この時代のドライバーの源流として紹介する。単年の発売モデルや王者の使用品を示す写真ではない。

1850年頃のD.マキューアンのプレークラブ。木製ヘッドと長いシャフトを備える館蔵品を、この時代のドライバーの源流として紹介する。単年の発売モデルや王者の使用品を示す写真ではない。

海沿いのリンクスを背に、装飾された優勝ベルトと木製クラブを描いたイメージ画
1860 · 時代を映す一枚最初の栄冠は、ベルト。

8人のプロが競った最初の全英。赤い革と金属の装飾が、王者を決める大会の始まりを思わせる。

AI生成イメージ画。実景・史料の正確な復元や、実在製品の写真ではありません。

この年の全英と、主役たち

SEASON LEADERS

年間賞金順位の代わりに、当時の主要選手権とその勝者を紹介する。個別大会の賞金と年間の獲得賞金は区別して読む。

  • 英国男子 · オープン選手権

    1860年

    ウィリー・パーク

    全英オープン優勝

    プレストウィックで36ホールを174打。この大会の優勝者で、年間賞金王の記録ではない。

プレストウィックで12ホールを3周する36ホールの全英。現在の72ホールと同じ打数の基準で比べない。全英アマチュアは1885年、全英女子アマは1893年から。創設前の大会や未確認の年間賞金順位は並べない。

当時の主要選手権

MAJOR CHAMPIONS

男子の主要選手権

1860年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

選手権の勝負と、クラブや道具の歩み。

  1. 年間

    8人のプロが、最初の王者を決める

    1859年に名手アラン・ロバートソンが亡くなった後、プレストウィックで新たな王者を決める競技が企画された。集まった8人のプロの中から、ウィリー・パークが174打で初代王者となった。

  2. 年間

    12ホールを3周する、一日の勝負

    現在の72ホールとは異なり、この年は12ホールを3周する36ホール競技。地元のオールド・トム・モリスは176打で、2打差の2位だった。

  3. 年間

    賞金より先に、赤いベルト

    勝者が預かったのは赤い革に銀の装飾を施したチャレンジ・ベルト。最初の3大会には賞金がなく、この年の勝者を後年の年間賞金王として扱うことはできない。

  4. 道具

    飛距離を担った、長い木製クラブ

    ティーから遠くへ運ぶ役割を担ったのがプレークラブ。写真は1850年頃のD.マキューアンの館蔵品で、長いシャフトと木製ヘッドを持つ。現代のドライバーへつながる形を、当時の競技の記録と見比べられる。

日本のゴルフ

日本での本格的なクラブの歩みは、1903年の神戸ゴルフ倶楽部の開場へつながる。ここでは、この年に確認できない大会や賞金順位を補わない。

    この年を、もう少し深く

    STORIES OF 1860

    誰が一番うまいのか。

    1859年、当時を代表する名手アラン・ロバートソンが亡くなった。次に誰をチャンピオンと呼ぶのか。その問いから、プレストウィックの会員たちが競技を企画した。

    1860年10月17日。スコットランド各地から8人のプロが集まり、12ホールを3周する36ホールの勝負に臨んだ。

    地元の本命を破った、ウィリー・パーク。

    本命視されたのは、このコースを管理していたトム・モリス。のちにオールド・トムと呼ばれる人物だ。だが初代王者になったのは、マッセルバラから来たウィリー・パークだった。

    パークは55・59・60の合計174打。モリスは176打で2位。2打差が、最初の全英の勝敗を分けた。

    優勝賞品は、赤い革のベルト。

    優勝者に渡されたのは、銀の装飾を施した赤い革のチャレンジ・ベルト。最初の3大会には賞金がなく、王者はこのベルトを預かった。