ゴルフ史

1885年

9年ぶりのマーティン。アマチュアの大会も始まる。

G.フォレスターのドライバーを道具のアイコンに、当時の選手権の勝者と、ゴルフが広がる歩みを振り返る。ボブ・マーティンがセントアンドリュースで再び優勝。ホイレークでは、全英アマチュア選手権につながる最初の大会が開かれた。

この時代のドライバー

G.フォレスターのドライバー。1885年と記録されたG.フォレスターのドライバー。木製ヘッドと首の接合、ホーンの補強が見える館蔵の実物写真。この年の新発売や使用率首位を示すものではない。

G.フォレスターのドライバー。1885年と記録されたG.フォレスターのドライバー。木製ヘッドと首の接合、ホーンの補強が見える館蔵の実物写真。この年の新発売や使用率首位を示すものではない。

選手権を制した主役たち

SEASON LEADERS

確認できる主要選手権の優勝者を掲載。記録のない年間賞金順位や、創設前の大会の勝者は補わない。

  • 英国男子 · オープン選手権

    1885年

    ボブ・マーティン

    全英オープン優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 英国男子 · アマチュア選手権

    1885年

    アラン・マクフィー

    全英アマチュア優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

この時代は年間賞金王の欄を無理に揃えず、主要選手権の勝者で振り返る。全英アマは1885年、全英女子アマは1893年、全米の3選手権は1895年から。オープンとアマチュア選手権を一つのプロメジャー数へ合算しない。全英は1892年、全米オープンは1898年に36ホールから72ホールへ変わる。

当時の主要選手権を見渡す

MAJOR CHAMPIONS

1885年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

英国と米国の選手権、女性の競技、道具と大会の変化。

  1. 年間

    全英オープンはボブ・マーティン

    ボブ・マーティンが全英を制した。本戦36ホールの合計は171打。舞台はセントアンドリュース。リンクスの風や地形を相手に、その年の王者が生まれた。

  2. 年間

    全英の舞台と、競技の長さ

    セントアンドリュースで争われた全英は、36ホール。現在の72ホールとは競技の長さが違う。同じ大会名でも、開催地と方式の変化を合わせて読むと時代の違いがわかる。

  3. 年間

    全英アマチュアはアラン・マクフィー

    アラン・マクフィーがRoyal Liverpoolで全英アマチュアを制した。決勝結果は7&6。ホールごとの勝敗を争うマッチプレーだった。オープンの合計打数とは別に、アマチュアの王者をたどる。

  4. 年間

    12クラブから44人が集まったアマの大会

    ホイレークで開かれた大会は、後の全英アマチュア選手権へ育っていく。最初の勝者はアラン・マクフィー。プロの全英と並び、アマチュア自身の頂点が生まれた。

  5. 道具

    道具のアイコンは、G.フォレスターのドライバー

    G.フォレスターのドライバー。1885年と記録されたG.フォレスターのドライバー。木製ヘッドと首の接合、ホーンの補強が見える館蔵の実物写真。この年の新発売や使用率首位を示すものではない。この年の選手全員が同じモデルを使った、という意味ではない。

日本のゴルフ

この年の日本の全国選手権や賞金順位は掲載しない。六甲の最初の4ホールは1901年、神戸ゴルフ倶楽部の開場は1903年。日本の競技が育つ節目は、これから訪れる。

    この年を、もう少し深く

    STORIES OF 1885

    前年王者の弟が、午前の首位に。

    アーチー・シンプソンは最初の18ホールを83打で回り、ボブ・マーティンに1打差をつけた。強まる風の中、午後はマーティンが87打、シンプソンが89打。合計171対172で、マーティンが逆転した。

    キャディーで、クラブづくりもしていた王者。

    マーティンはセントアンドリュースのキャディーで、オールド・トムのクラブ製作の仕事にも携わっていた。1876年の初優勝から9年。同じ会場で、今度は1打差の勝負を勝ち切った。

    12クラブから44人が集まる。

    ホイレークでは、後に全英アマチュア選手権となる大会が初めて開かれた。12クラブから44人が参加し、アラン・マクフィーが優勝。プロと競う全英に加え、アマチュアの王者を決める大会が始まった。