国・地域未確認 · 男子・一般
テッド・レイ
Ted Ray
日本語名は仮表記です。英語名を併記しています。
人物と歩み
ジャージー島で育ち、バードンの後任としてガントンのプロを務めた豪打の選手。大柄な体とパイプ、帽子が観衆に親しまれた。
1912年の全英では、72ホール制になって初めて各ラウンド終了時に単独首位を保って優勝。大きな飛距離を、長くなったミュアフィールドで生かした。
1913年全米はバードンとともにウィメットとの延長戦で敗れたが、1920年に全米も制覇。英国のクラブプロとして働きながら、大西洋の両岸で王者になった。
生涯成績
The Open記載のプロ通算46勝、PGA TOUR認定通算2勝。男子メジャー2勝。1912〜1920年に2種類のメジャーで優勝。
- プロ通算(The Open記載)
- 46勝
- PGA TOUR認定通算
- 2勝
- 男子メジャー通算
- 2勝
- メジャー優勝大会の種類
- 2大会
公式資料の確認日:
ツアー通算勝利には、そのツアーが認定するメジャー優勝を含みます。メジャー勝利を足し合わせた総勝利数ではありません。一般・シニア・アマチュアの実績は区別しています。 歴史上の選手は、遡及認定を含むツアー通算と公式プロフィール掲載のプロ通算を分けて表示します。
メジャー優勝の内訳
- 全米オープン · 1勝
- 1920年
- 全英オープン · 1勝
- 1912年
PGA TOUR認定通算は2026年公式メディアガイドの歴代一覧に基づきます。ツアー創設前やアマチュア時代の認定勝利を含むため、当時の所属ツアーやプロとしての勝利数を示すものではありません。メジャー通算とは重複するため合算しません。 プロ通算はThe Openの掲載値です。対象大会の明細は示されていないため、PGA TOUR認定通算・メジャー通算へ加算しません。
メジャーでのキャリア
1912年の全英オープンで最初のメジャー優勝。その後も勝利を重ね、1920年の全米オープンまでに通算2勝を挙げた。
大会ごとの実績
最多優勝の大会は全米オープンで1勝(1920年)。優勝したメジャーは2種類。
公式記録に残る通算勝利
PGA TOURの公式歴代勝利一覧では通算2勝と認定されている。歴史上の大会を遡って認定した記録を含み、世界各地の全大会を合計した生涯総勝利数ではない。
全英公式が紹介するプロキャリア
The Openの公式プロフィールはプロ通算46勝と紹介している。PGA TOUR認定2勝とは集計範囲が異なる。
キャリア年表
ゴルフ史でたどるキャリア
飛ばすレイ、最初から単独首位で全英を勝つ。
ミュアフィールドは6,425ヤードへ伸びていた。飛距離で知られるテッド・レイは、最初の71打でジョージ・ダンカンに1打差の首位。続く73打で、ハリー・バードンへのリードを3打にした。
1912年のゴルフ史を読む →20歳のウィメットが全米を勝つ。東京では倶楽部が生まれる。
J・H・テーラーは73・75・77・79の304打で、前年王者テッド・レイに8打差をつけた。1894年の初優勝から19年。ブレイド、バードンに続いて全英5勝へ到達した。
1913年のゴルフ史を読む →プレストウィック、最後の全英。5打差を覆したバーンズ。
スミスには78打で優勝できる計算だったが、大勢の観衆が取り囲む中、82打で303打に終わった。バーンズが勝ち、テッド・レイとアーチー・コンプストンが301打で続いた。
1925年のゴルフ史を読む →
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J.H.テイラーが1913年の全英オープン5勝目で使ったと伝わるパターは、息子が校長を務めた学校の同窓会へ渡り、年次ゴルフ大会の賞品になっていた。 学校が閉校しても同窓会はパターを保管し、2023年にテイラーの古巣ロイヤル・ミッドサリーGCへ寄贈した。 製作者も1893年の全英王者だったという。一本の道具に、勝利と学校の記憶が重なっている。
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