ゴルフ史

1912年

飛ばすレイ、最初から単独首位で全英を勝つ。

A.マクラーレンのドライバーを道具のアイコンに、当時の選手権の勝者と、ゴルフが広がる歩みを振り返る。長くなったミュアフィールドで、テッド・レイが一度も首位を分け合わずに走った。同じジャージー島で育ったバードンを4打抑えた。

この時代のドライバー

A.マクラーレンのドライバー。1908〜10年頃と記録されたA.マクラーレンのドライバー。ホノルルの刻印がある館蔵品の実物写真。この年の新発売や日本での販売を示すものではない。

A.マクラーレンのドライバー。1908〜10年頃と記録されたA.マクラーレンのドライバー。ホノルルの刻印がある館蔵品の実物写真。この年の新発売や日本での販売を示すものではない。

選手権を制した主役たち

SEASON LEADERS

確認できる主要選手権の優勝者を掲載。記録のない年間賞金順位や、創設前の大会の勝者は補わない。

  • 英国男子 · オープン選手権

    1912年

    テッド・レイ

    全英オープン優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 米男子 · オープン選手権

    1912年

    ジョン・マクダーモット

    全米オープン優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 米女子 · アマチュア選手権

    1912年

    マーガレット・カーティス

    全米女子アマチュア優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 日本男子 · アマチュア選手権

    1912年

    アルフレッド・ラッジ

    日本アマチュア優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

この時代は年間賞金王の欄を無理に揃えず、主要選手権の勝者で振り返る。全英アマは1885年、全英女子アマは1893年、全米の3選手権は1895年から。オープンとアマチュア選手権を一つのプロメジャー数へ合算しない。全英は1892年、全米オープンは1898年に36ホールから72ホールへ変わる。

当時の主要選手権を見渡す

MAJOR CHAMPIONS

1912年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

英国と米国の選手権、女性の競技、道具と大会の変化。

  1. 年間

    全英オープンはテッド・レイ

    テッド・レイが全英を制した。本戦72ホールの合計は295打。舞台はミュアフィールド。リンクスの風や地形を相手に、その年の王者が生まれた。

  2. 年間

    全英アマチュアはジョン・ボール

    ジョン・ボールがRoyal North Devonで全英アマチュアを制した。38ホール目まで進んだ決勝。オープンの合計打数とは別に、アマチュアの王者をたどる。

  3. 年間

    全米オープンはジョン・マクダーモット

    ジョン・マクダーモットが本戦72ホールを294打で回り優勝。英国とは別に、米国のコースでもオープン選手権の歴史が積み重なっていく。

  4. 年間

    全米アマチュアの頂点はジェローム・トラバース

    ジェローム・トラバースが全米アマチュアを制した。プロとアマが同じフィールドで戦う全米オープンとは別の選手権。アマチュアのタイトルも、この時代の主役を知る重要な記録だ。

  5. 年間

    全英女子アマチュアはグラディス・レイベンズクロフト

    グラディス・レイベンズクロフトがTurnberryで優勝。決勝結果は3&2。1893年に始まった女性たちの主要選手権で、後年の女子プロの賞金順位やメジャーとは分けて振り返る。

  6. 年間

    全米女子アマチュアはマーガレット・カーティス

    マーガレット・カーティスが全米女子アマチュアを制した。1896年からの大会はマッチプレー。全米女子オープンが始まる1946年より前から、女性たちが競う全国選手権は続いていた。

  7. 年間

    ジョン・ボール、8度目の全英アマ

    ジョン・ボールは1888年からこの年までに全英アマチュアを8度制した。全英オープンの王者がテッド・レイへ移った年にも、アマチュアの歴史を長く支える名手がいた。

  8. 道具

    道具のアイコンは、A.マクラーレンのドライバー

    A.マクラーレンのドライバー。1908〜10年頃と記録されたA.マクラーレンのドライバー。ホノルルの刻印がある館蔵品の実物写真。この年の新発売や日本での販売を示すものではない。この年の選手全員が同じモデルを使った、という意味ではない。

日本のゴルフ

この年の競技結果や、倶楽部での取り組みを読む。

  1. 年間

    日本アマチュアはアルフレッド・ラッジ

    NRCGA根岸コースでアルフレッド・ラッジが日本アマチュアを制した。記録は合計145打。全国のプロツアー賞金順位が成立する前、倶楽部を舞台にアマチュアの競技が育っていた。

  2. 年間

    英国で覚えたゴルフを、六甲でも

    英国留学中にゴルフを身につけた松平慶民が神戸へ入会した。倶楽部史に記されたハンディキャップは12。全国の賞金順位とは違う、初期の日本人プレーヤーの記録が残っている。

  3. 年間

    東京にも事業の拠点を開く

    ミズノの企業史では、この年に東京支店を開設したと記される。六甲や根岸で行われるゴルフ競技の歴史と並行して、国内のスポーツ用品の事業も大阪から広がっていった。

この年を、もう少し深く

STORIES OF 1912

長いコースと、強打者。

ミュアフィールドは6,425ヤードへ伸びていた。飛距離で知られるテッド・レイは、最初の71打でジョージ・ダンカンに1打差の首位。続く73打で、ハリー・バードンへのリードを3打にした。

最後は75打。三巨頭の連勝を止める。

3ラウンド目は76打、最後は75打で合計295打。バードンが4打差、ジェームズ・ブレイドが8打差で続いた。それまで4大会続けて三巨頭が勝っていた全英で、レイが初優勝を挙げた。

1899年の先頭とは、少し違う。

72ホールになってから、全ラウンド終了時に単独首位だった最初の優勝者がレイ。1899年のバードンは首位タイを含む先頭だった。二人は翌年の全米で、ともにウィメットとの延長戦を迎える。