ゴルフ史

1913年

20歳のウィメットが全米を勝つ。東京では倶楽部が生まれる。

1913年のドライバーショットを時代のアイコンに、世界・日本の選手権、女性たちの競技まで振り返る。全英ではテーラーが5勝目、全米ではアマチュアの若者が二人の名手を破った。日本では、駒沢につながる東京ゴルフ倶楽部が設立された。

当時のドライバーショット

1913年のドライバーショット。ハリー・バードンが打った直後を写した当時の記録写真を、この時代のアイコンに選んだ。個別のメーカーやモデルは特定していない。

1913年のドライバーショット。ハリー・バードンが打った直後を写した当時の記録写真を、この時代のアイコンに選んだ。個別のメーカーやモデルは特定していない。

この年の主役と、賞金の記録

SEASON LEADERS

米男子は記録がある1934年以降の年間賞金首位、それ以前は全米王者。女子と日本は当時の主要選手権を取り上げる。選手権の優勝を年間賞金王とは数えない。

  • 米男子 · 全国選手権

    1913年

    フランシス・ウィメット

    全米オープン優勝

    採用したPGA歴代年間賞金首位表は1934年から。この欄は賞金王を推測せず、この年の全米王者を掲載する。優勝者はアマチュア。

  • 米女子 · アマチュア選手権

    1913年

    グラディス・レイベンズクロフト

    全米女子アマチュア優勝

    LPGA創設は1950年。この年は女子の全国選手権優勝者を掲載し、プロの年間賞金女王とは扱わない。

  • 日本男子 · 全国選手権

    1913年

    アルフレッド・ラッジ

    日本アマチュア優勝

    日本の現行ツアー制は1973年開始。この欄は選手権の勝者で、年間賞金王ではない。

  • 日本女子 · 競技の背景

    1913年

    女子プロ賞金制度の成立前

    倶楽部から競技が育つ時代

    女子プロ部門の発足は1967年、歴代賞金女王表は1968年から。女性がプレーしていなかったという意味ではなく、後年の賞金ランキングをこの年へ遡らせない。

男子は後に四大メジャーとなる大会のうち、この年までに始まった大会だけを掲載。マスターズは1934年、全米プロは1916年からで、当時の全米プロはマッチプレー。女子は全米女子アマと、1930年以降の女子ウェスタン、1937年以降のタイトルホルダーズを並べる。全米女子アマはプロのメジャーに数えず、後のLPGA認定大会と区別する。

主要選手権の勝者を、一望する

MAJOR CHAMPIONS

1913年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

全国選手権の勝者、女性たちの競技、道具と時代の変化。

  1. 年間

    全米オープンはフランシス・ウィメット

    アマチュアのフランシス・ウィメットが全米オープンを制した。72ホールの合計は304打。同スコアで並んだ後、プレーオフを勝ち切った。

  2. 年間

    全英オープンはJ・H・テーラー

    J・H・テーラーが全英オープンを制した。72ホールの合計は304打。全国選手権の優勝と、シーズンを通した賞金成績は別の記録だ。

  3. 年間

    全米アマチュアにも、もう一人の王者

    ジェローム・トラバースが全米アマチュアを制した。オープンがプロとアマの双方へ門戸を開くのに対し、こちらはアマチュアの全国選手権。賞金を得るプロの大会だけでは、この時代の頂点を追いきれない。

  4. 年間

    全米女子アマはグラディス・レイベンズクロフト

    グラディス・レイベンズクロフトが全米女子アマチュアを制した。LPGA創設前の女性たちの主要な競技舞台を示す結果で、後の女子プロメジャーや年間賞金女王とは区別して掲載する。

  5. 道具

    モデル名より前に、当時のショットを見る

    1913年刊の写真にはハリー・バードンのドライバーショットが残る。左右2枚の立体写真で、打球後の姿勢やクラブの長さを見比べられる。メーカーや型番は不明のため、後年の市販モデル名を当てはめない。

日本のゴルフ

選手権の結果に、倶楽部や競技団体の歩みを重ねて読む。

  1. 年間

    日本アマチュアはアルフレッド・ラッジ

    神戸GC六甲コースでアルフレッド・ラッジが日本アマチュアを制した。合計159打で優勝した。プロの賞金王とは別に、日本のアマチュア競技の主役を記録する。

  2. 年間

    東京に日本人が育てるゴルフの場

    東京ゴルフ倶楽部が設立され、駒沢に最初のコースを置く。神戸と根岸で行われていた日本アマチュアが東京へ広がるのは1918年。倶楽部の誕生と全国選手権の開催年には、5年の間隔がある。

  3. 年間

    プロの全国大会が始まる前の日本

    日本プロの大会史の始まりは1926年、日本オープンは1927年。この年の日本を現在のツアー賞金表で見る代わりに、日本アマチュアの勝者と会場を並べると、競技が倶楽部から育った時代がわかる。

この年を、もう少し深く

STORIES OF 1913

雨風のホイレークで、テーラーが8打差。

J・H・テーラーは73・75・77・79の304打で、前年王者テッド・レイに8打差をつけた。1894年の初優勝から19年。ブレイド、バードンに続いて全英5勝へ到達した。

全米の延長戦は、72対77対78。

20歳のアマチュア、フランシス・ウィメットは本戦304打でバードンとレイに並んだ。18ホールの延長戦を72打で回り、77打のバードン、78打のレイを破って全米初優勝。英国の王者たちを、米国の若者が上回った。

日本人の手で、東京に倶楽部を。

東京ゴルフ倶楽部は、井上準之助、樺山愛輔らによって1913年に設立された。最初のコースは駒沢。海外でゴルフになじんだ人々が、日本でもプレーする場を育てようとした。