ゴルフ史

1920年

13打差からの逆転。新しいドライバーと、戻ってきた全英。

マグレガー・デイトンを時代のアイコンに、世界・日本の選手権、女性たちの競技まで振り返る。最初の36ホールは80打、80打。ジョージ・ダンカンは会場でドライバーを買い、次の日を71打、72打で回った。

この時代のドライバー

マグレガー・デイトンの1915年頃の型を、この時代のドライバーのアイコンに選んだ。写真はLouisville Golf製の現代の復刻品で、当時の現物ではない。この年の新発売や使用率首位を意味しない。

マグレガー・デイトンの1915年頃の型を、この時代のドライバーのアイコンに選んだ。写真はLouisville Golf製の現代の復刻品で、当時の現物ではない。この年の新発売や使用率首位を意味しない。

この年の主役と、賞金の記録

SEASON LEADERS

米男子は記録がある1934年以降の年間賞金首位、それ以前は全米王者。女子と日本は当時の主要選手権を取り上げる。選手権の優勝を年間賞金王とは数えない。

  • 米男子 · 全国選手権

    1920年

    テッド・レイ

    全米オープン優勝

    採用したPGA歴代年間賞金首位表は1934年から。この欄は賞金王を推測せず、この年の全米王者を掲載する。

  • 米女子 · アマチュア選手権

    1920年

    アレクサ・スターリング

    全米女子アマチュア優勝

    LPGA創設は1950年。この年は女子の全国選手権優勝者を掲載し、プロの年間賞金女王とは扱わない。

  • 日本男子 · 全国選手権

    1920年

    H・W・マルコム

    日本アマチュア優勝

    日本の現行ツアー制は1973年開始。この欄は選手権の勝者で、年間賞金王ではない。

  • 日本女子 · 競技の背景

    1920年

    女子プロ賞金制度の成立前

    倶楽部から競技が育つ時代

    女子プロ部門の発足は1967年、歴代賞金女王表は1968年から。女性がプレーしていなかったという意味ではなく、後年の賞金ランキングをこの年へ遡らせない。

男子は後に四大メジャーとなる大会のうち、この年までに始まった大会だけを掲載。マスターズは1934年、全米プロは1916年からで、当時の全米プロはマッチプレー。女子は全米女子アマと、1930年以降の女子ウェスタン、1937年以降のタイトルホルダーズを並べる。全米女子アマはプロのメジャーに数えず、後のLPGA認定大会と区別する。

主要選手権の勝者を、一望する

MAJOR CHAMPIONS

1920年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

全国選手権の勝者、女性たちの競技、道具と時代の変化。

  1. 年間

    全米オープンはテッド・レイ

    テッド・レイが全米オープンを制した。72ホールの合計は295打。全国選手権の優勝と、シーズンを通した賞金成績は別の記録だ。

  2. 年間

    全英オープンはジョージ・ダンカン

    ジョージ・ダンカンが全英オープンを制した。72ホールの合計は303打。全国選手権の優勝と、シーズンを通した賞金成績は別の記録だ。

  3. 年間

    全米プロはジョック・ハッチソン

    ジョック・ハッチソンが全米プロを制した。決勝の結果は1-up。当時は相手とのホールごとの勝敗を積み重ねるマッチプレーで、後年の72ホール合計打数による優勝とは記録の読み方が違う。

  4. 年間

    全米アマチュアにも、もう一人の王者

    チック・エバンスが全米アマチュアを制した。オープンがプロとアマの双方へ門戸を開くのに対し、こちらはアマチュアの全国選手権。賞金を得るプロの大会だけでは、この時代の頂点を追いきれない。

  5. 年間

    全米女子アマはアレクサ・スターリング

    アレクサ・スターリングが全米女子アマチュアを制した。LPGA創設前の女性たちの主要な競技舞台を示す結果で、後の女子プロメジャーや年間賞金女王とは区別して掲載する。

  6. 道具

    ヒッコリーの道具を、原型と復刻から知る

    マグレガー・デイトンは1915年頃の原型を持つ木製シャフト時代のドライバー。掲載写真は現代の復刻品で、当時の選手がこの個体を使ったという意味ではない。今の復刻品の素材仕様を、戦前の仕様へそのまま遡らせない。

日本のゴルフ

選手権の結果に、倶楽部や競技団体の歩みを重ねて読む。

  1. 年間

    日本アマチュアはH・W・マルコム

    神戸GC六甲コースでH・W・マルコムが日本アマチュアを制した。合計158打で優勝した。プロの賞金王とは別に、日本のアマチュア競技の主役を記録する。

  2. 年間

    神戸と根岸から続く選手権の系譜

    日本アマチュアの始まりは1907年の神戸・根岸の対抗戦にある。この年も、倶楽部を舞台にした選手権が日本の競技の柱だった。まだ存在しない日本オープンや全国のプロツアーと取り違えず、残された優勝記録から時代をたどる。

  3. 年間

    プロの全国大会が始まる前の日本

    日本プロの大会史の始まりは1926年、日本オープンは1927年。この年の日本を現在のツアー賞金表で見る代わりに、日本アマチュアの勝者と会場を並べると、競技が倶楽部から育った時代がわかる。

この年を、もう少し深く

STORIES OF 1920

6年ぶりに、全英が再開する。

1914年以来の全英が、ロイヤル・シンクポーツで行われた。1915年の予定会場だったリンクスへ、大会が戻ってきた。開催クラブが担っていた大会運営は、この年からR&Aが恒常的に一括して担う形になった。

80、80の後、会場でドライバーを買う。

エイブ・ミッチェルが74・73で先頭に立つ一方、ジョージ・ダンカンは80打を二つ重ね、13打差で遅れていた。大会公式の回顧によれば、その後、会場の展示テントで、ティーショットに使うクラブ、ドライバーを買ったという。

71、72。52歳のハードを2打抑える。

翌日は71打、72打で合計303打。ミッチェルが84・76と崩れ、52歳のサンディー・ハードが305打で2位となった。1910年には最後のラウンドで優勝を逃したダンカンが、今度は大きな差を覆して勝った。