1925年
プレストウィック、最後の全英。5打差を覆したバーンズ。
マグレガー・デイトンを時代のアイコンに、世界・日本の選手権、女性たちの競技まで振り返る。1860年に大会が生まれたリンクスで、24度目の全英。先に300打で終えたジム・バーンズを、首位のマクドナルド・スミスは捕まえられなかった。
この時代のドライバー

マグレガー・デイトンの1915年頃の型を、この時代のドライバーのアイコンに選んだ。写真はLouisville Golf製の現代の復刻品で、当時の現物ではない。この年の新発売や使用率首位を意味しない。
この年の主役と、賞金の記録
SEASON LEADERS米男子は記録がある1934年以降の年間賞金首位、それ以前は全米王者。女子と日本は当時の主要選手権を取り上げる。選手権の優勝を年間賞金王とは数えない。
米男子 · 全国選手権
1925年
全米オープン優勝
採用したPGA歴代年間賞金首位表は1934年から。この欄は賞金王を推測せず、この年の全米王者を掲載する。
米女子 · アマチュア選手権
1925年
全米女子アマチュア優勝
LPGA創設は1950年。この年は女子の全国選手権優勝者を掲載し、プロの年間賞金女王とは扱わない。
日本男子 · 全国選手権
1925年
日本アマチュア優勝
日本の現行ツアー制は1973年開始。この欄は選手権の勝者で、年間賞金王ではない。
日本女子 · 競技の背景
1925年
女子プロ賞金制度の成立前
倶楽部から競技が育つ時代
女子プロ部門の発足は1967年、歴代賞金女王表は1968年から。女性がプレーしていなかったという意味ではなく、後年の賞金ランキングをこの年へ遡らせない。
主要選手権の勝者を、一望する
MAJOR CHAMPIONS男子・後の四大大会の系譜
- 年間
- 年間
- 年間
女子の主要競技
- 年間
1925年に起きたこと
WORLD & JAPAN世界のゴルフ
全国選手権の勝者、女性たちの競技、道具と時代の変化。
- 年間
全米オープンはウィリー・マクファーレン
ウィリー・マクファーレンが全米オープンを制した。72ホールの合計は291打。同スコアで並んだ後、プレーオフを勝ち切った。
- 年間
- 年間
全米プロはウォルター・ヘーゲン
ウォルター・ヘーゲンが全米プロを制した。決勝の結果は6 and 5。当時は相手とのホールごとの勝敗を積み重ねるマッチプレーで、後年の72ホール合計打数による優勝とは記録の読み方が違う。
- 年間
- 年間
全米女子アマはグレナ・コレット・ベア
グレナ・コレット・ベアが全米女子アマチュアを制した。LPGA創設前の女性たちの主要な競技舞台を示す結果で、後の女子プロメジャーや年間賞金女王とは区別して掲載する。
- 道具
ヒッコリーの道具を、原型と復刻から知る
マグレガー・デイトンは1915年頃の原型を持つ木製シャフト時代のドライバー。掲載写真は現代の復刻品で、当時の選手がこの個体を使ったという意味ではない。今の復刻品の素材仕様を、戦前の仕様へそのまま遡らせない。
日本のゴルフ
選手権の結果に、倶楽部や競技団体の歩みを重ねて読む。
- 年間
- 年間
- 年間
この年を、もう少し深く
STORIES OF 1925スミスが、5打リードしていた。
マクドナルド・スミスは76・69・76の221打で、ジム・バーンズらに5打差をつけていた。バーンズは最後を74打で回り、合計300打。スミスが最終ラウンドを始める前に、クラブハウスへ戻っていた。
観衆に囲まれ、スミスは82打。
スミスには78打で優勝できる計算だったが、大勢の観衆が取り囲む中、82打で303打に終わった。バーンズが勝ち、テッド・レイとアーチー・コンプストンが301打で続いた。
大会発祥の地が、開催地から離れる。
公式回顧は、短さや見えないショットの多さに加え、約1万人の観衆に対応しきれなかったと振り返る。この大会が、プレストウィックで行われた最後の全英となった。