国・地域未確認 · 男子・一般
ウィリー・ファーニー
Willie Fernie
日本語名は仮表記です。英語名を併記しています。
人物と歩み
セントアンドリュース出身で、ダンフリースのグリーンキーパーとして働いた全英王者。後にロイヤル・トゥルーンのプロとなり、指導やコース設計にも携わった。
1882年全英の2位から、翌1883年はボブ・ファーガソンと同スコアで並んだ。翌日の36ホール延長戦では最後のホールをバーディーにして逆転し、相手の4連勝を止めた。
全英は優勝のほか2位が4回。ターンベリーの初期コースの配置にも関わったと大会公式が紹介しており、選手としてだけでなく、リンクスの発展を支えたプロでもある。
ゴルフ史でたどるキャリア
83打で先に出た王者。ファーガソンが3連覇。
午後のファーガソンは88打。終盤に二つの6打があったが、合計171打にまとめた。ウィリー・ファーニーは午後の最少スコア86打で追い上げ、3打差の2位となった。
1882年のゴルフ史を読む →10打をたたいたファーニー、延長戦で王者に。
マッセルバラでウィリー・ファーニーは、前半18ホールを75打で回った。最後の周回の2番では長い草や砂、低木に苦しみ10打。それでも本戦を158打で終え、4連覇を狙うボブ・ファーガソンと並んだ。
1883年のゴルフ史を読む →12ホールから18ホールへ。全英の故郷も変わる。
ジャック・シンプソンは両ラウンドとも最少スコアを出し、合計160打。前年王者ウィリー・ファーニーらに4打差をつけた。翌年は弟アーチーが、あと1打で優勝というところまで迫る。
1884年のゴルフ史を読む →アマチュアが全英を制した。ジョン・ボールの二冠。
ジョン・ボールは、プレストウィックの18ホールを82打ずつで回った。合計164打。ウィリー・ファーニーとアーチー・シンプソンに3打差をつけ、アマチュアとして初めて全英王者となった。
1890年のゴルフ史を読む →弟ヒューが勝つ。36ホール時代、最後の全英。
セントアンドリュースは冷たい風と強い雨。ヒュー・カーカルディが、午前も午後も83打で回って合計166打とした。兄アンドリューとウィリー・ファーニーは168打で2位だった。
1891年のゴルフ史を読む →
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2024年の全英オープンで、123ヤードの8番はダブルボギー以上が30回。623ヤードの6番の20回を上回った。 ただし平均スコアでは6番の方が難しく、バーディーは8番の方が多い。短さだけでも、大叩きの数だけでも測れない。 小さなグリーンと深いバンカーが隣り合う「郵便切手」で、距離とは別の難しさを考える。
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