1883年
10打をたたいたファーニー、延長戦で王者に。
D.マキューアンのプレークラブを道具のアイコンに、当時の選手権の勝者と、ゴルフが広がる歩みを振り返る。一つのホールで10打。それでも首位に並び、さらに36ホールを戦った。全英で初めて、二人が実際にプレーオフを争った年。
選手権を制した主役たち
SEASON LEADERS確認できる主要選手権の優勝者を掲載。記録のない年間賞金順位や、創設前の大会の勝者は補わない。
英国男子 · オープン選手権
1883年
全英オープン優勝
この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。
この時代は年間賞金王の欄を無理に揃えず、主要選手権の勝者で振り返る。全英アマは1885年、全英女子アマは1893年、全米の3選手権は1895年から。オープンとアマチュア選手権を一つのプロメジャー数へ合算しない。全英は1892年、全米オープンは1898年に36ホールから72ホールへ変わる。
当時の主要選手権を見渡す
MAJOR CHAMPIONS男子の主要選手権
- 年間
1883年に起きたこと
WORLD & JAPAN世界のゴルフ
英国と米国の選手権、女性の競技、道具と大会の変化。
- 年間
全英オープンはウィリー・ファーニー
ウィリー・ファーニーが全英を制した。本戦36ホールの合計は158打。同点から延長戦を勝ち抜いての優勝だった。
- 年間
全英の舞台と、競技の長さ
マッセルバラで争われた全英は、36ホール。現在の72ホールとは競技の長さが違う。マッセルバラは9ホールを4周するコース。
- 年間
延長戦を、実際に打ち合う初めての全英
前年まで3連覇していたボブ・ファーガソンに、ウィリー・ファーニーが競り勝った。二人が実際にプレーした全英初のプレーオフは追加36ホール。9ホールを何周も重ねて王者を決めた。
- 道具
単年モデルが特定できない時代の道具
この年の王者が使ったドライバーの個体は特定していない。比較写真には1850年頃のD.マキューアンのプレークラブを選び、長い木製ヘッドを持つドライバーの源流を示す。1883・84年の新発売品という意味ではない。
日本のゴルフ
この年の日本の全国選手権や賞金順位は掲載しない。六甲の最初の4ホールは1901年、神戸ゴルフ倶楽部の開場は1903年。日本の競技が育つ節目は、これから訪れる。
この年を、もう少し深く
STORIES OF 1883最後の周回で10打。それでも同点に。
マッセルバラでウィリー・ファーニーは、前半18ホールを75打で回った。最後の周回の2番では長い草や砂、低木に苦しみ10打。それでも本戦を158打で終え、4連覇を狙うボブ・ファーガソンと並んだ。
9ホールを、もう4周する。
プレーオフは追加の36ホール。9ホールのコースを、さらに4周した。1876年の首位タイでは一人が延長戦を拒んだため、二人が実際に打ち合った全英のプレーオフはこの年が最初だった。
最後のホールで、2打と4打。
延長戦の最終ホールを迎え、ファーガソンが1打リード。ファーニーはグリーンに乗せて長いパットを決め、2打で上がった。ファーガソンは4打。延長戦は158対159となり、ファーニーが逆転で初優勝した。
