1884年
12ホールから18ホールへ。全英の故郷も変わる。
D.マキューアンのプレークラブを道具のアイコンに、当時の選手権の勝者と、ゴルフが広がる歩みを振り返る。コースを18ホールに拡張したプレストウィックで、初めての全英。ジャック・シンプソンが、新しい配置のコースで王者になった。
選手権を制した主役たち
SEASON LEADERS確認できる主要選手権の優勝者を掲載。記録のない年間賞金順位や、創設前の大会の勝者は補わない。
英国男子 · オープン選手権
1884年
全英オープン優勝
この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。
この時代は年間賞金王の欄を無理に揃えず、主要選手権の勝者で振り返る。全英アマは1885年、全英女子アマは1893年、全米の3選手権は1895年から。オープンとアマチュア選手権を一つのプロメジャー数へ合算しない。全英は1892年、全米オープンは1898年に36ホールから72ホールへ変わる。
当時の主要選手権を見渡す
MAJOR CHAMPIONS男子の主要選手権
- 年間
1884年に起きたこと
WORLD & JAPAN世界のゴルフ
英国と米国の選手権、女性の競技、道具と大会の変化。
- 年間
全英オープンはジャック・シンプソン
ジャック・シンプソンが全英を制した。本戦36ホールの合計は160打。舞台はプレストウィック。リンクスの風や地形を相手に、その年の王者が生まれた。
- 年間
全英の舞台と、競技の長さ
プレストウィックで争われた全英は、36ホール。現在の72ホールとは競技の長さが違う。同じ大会名でも、開催地と方式の変化を合わせて読むと時代の違いがわかる。
- 年間
12ホールを3周する時代から変わる
プレストウィックは12ホールから18ホールへ拡張され、この全英では2周で36ホールを競った。同じ36ホールでも、以前と同じコースを回ったわけではない。
- 道具
単年モデルが特定できない時代の道具
この年の王者が使ったドライバーの個体は特定していない。比較写真には1850年頃のD.マキューアンのプレークラブを選び、長い木製ヘッドを持つドライバーの源流を示す。1883・84年の新発売品という意味ではない。
日本のゴルフ
この年の日本の全国選手権や賞金順位は掲載しない。六甲の最初の4ホールは1901年、神戸ゴルフ倶楽部の開場は1903年。日本の競技が育つ節目は、これから訪れる。
この年を、もう少し深く
STORIES OF 18843周していたコースを、今度は2周。
第1回全英の頃は12ホールを3周していたプレストウィック。この年の大会では、18ホールに拡張されたコースを2周した。古いグリーンのうち七つや名物のバンカーは残ったが、578ヤードの旧1番ホールは姿を消した。
午前78打、風が強まった午後は82打。
ジャック・シンプソンは両ラウンドとも最少スコアを出し、合計160打。前年王者ウィリー・ファーニーらに4打差をつけた。翌年は弟アーチーが、あと1打で優勝というところまで迫る。
カナダのクラブに「ロイヤル」の称号。
1873年に設立されたモントリオール・ゴルフクラブは、この年に「ロイヤル」の称号を得た。現在のクラブ名にある言葉も、創設時からずっと付いていたわけではなかった。
