🏴イングランド · 男子・一般
トニー・ジャクリン
Tony Jacklin
日本語名は仮表記です。英語名を併記しています。
人物と歩み
製鉄工の息子として育った英国のプロ。1969年全英、1970年全米を勝ち、英国勢のメジャー競争力を示した。
力まず振るテンポを重視し、ロイヤル・リザムの最後のティーショットでもリードを守った。翌年はヘーゼルティンで全米を制した。
後にはライダーカップの欧州主将となり、1985年の久々の勝利と1987年の米国での初勝利を導いた。選手としての成功を、代表チームを率いる仕事へつないだ。
主将として選手の準備とチーム意識を整え、1985年の奪還と1987年の米国開催初勝利を実現した。個人のメジャー2勝に加え、欧州が対等に戦う時代を作った役割が大きい。
生涯成績
PGA TOUR通算4勝、男子メジャー2勝。1969〜1970年に2種類のメジャーで優勝。
- PGA TOUR通算
- 4勝
- 男子メジャー通算
- 2勝
- メジャー優勝大会の種類
- 2大会
公式資料の確認日:
ツアー通算勝利には、そのツアーが認定するメジャー優勝を含みます。メジャー勝利を足し合わせた総勝利数ではありません。一般・シニア・アマチュアの実績は区別しています。 歴史上の選手は、遡及認定を含むツアー通算と公式プロフィール掲載のプロ通算を分けて表示します。
メジャー優勝の内訳
- 全米オープン · 1勝
- 1970年
- 全英オープン · 1勝
- 1969年
ツアーでの歩みと最多勝シーズン
公式キャリアの年別優勝一覧には、1968年の1968 Jacksonville Open Invitationalから1972年の1972 Greater Jacksonville Openまでの勝利が掲載されている。掲載された年別一覧で最多のシーズンは1968年の1勝。
メジャーでのキャリア
1969年の全英オープンで最初のメジャー優勝。その後も勝利を重ね、1970年の全米オープンまでに通算2勝を挙げた。
大会ごとの実績
最多優勝の大会は全米オープンで1勝(1970年)。優勝したメジャーは2種類。
ツアー通算の集計範囲
確認した公式記録のPGA TOUR通算は4勝。メジャーの勝利と重なるため、両方の数字を足して生涯総勝利とはしていない。別ツアーやシニアの成績とも区別している。
キャリア年表
ゴルフ史でたどるキャリア
ジャクリンが勝ち、ニクラウスが短いパットを譲る。
25歳のトニー・ジャクリンが、全英を280打で制した。チャールズとは2打差。英国勢の優勝は、1951年のフォークナー以来18年ぶりだった。最終ホールでは観衆がフェアウェイへ走り出す歓喜に包まれた。
1969年のゴルフ史を読む →17番のチップインが、年間四冠を止めた。
最終日の17番、トレビノはグリーン外で4打を費やしたあと、次をチップインしてパーに収める。同組のトニー・ジャクリンは3パットのボギー。最後まで競っていた二人の差が、ここで開いた。
1972年のゴルフ史を読む →
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1969年ライダーカップの最終ホールで、ニクラスはジャクリンの短いパットを譲った。 初の引き分けで米国はカップを保持。その場面は2人が共同設計したコースの名前になった。 2021年には、スポーツマンシップと判断をたたえるニクラス・ジャクリン賞も創設された。
1969年ライダーカップの最後のマッチで、ニクラスはジャクリンに残った短いパットを譲った。 二人のマッチも大会も引き分けとなり、総得点は16対16。それでも米国はカップを保持した。 なぜ譲歩が敗戦を意味しなかったのか。18番の経過と前回大会の結果をたどる。
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プロフィール
- 国・地域
- 🏴イングランド
- 生年月日
- 1944-07-07
- プロ転向
- 1962年
- 日本語名
- 仮表記