国・地域未確認 · 男子・一般
ボブ・マーティン
Bob Martin
日本語名は仮表記です。英語名を併記しています。
人物と歩み
セントアンドリュースでキャディーを務め、オールド・トム・モリスのクラブ製作の仕事も手伝ったプロ。派手さよりも安定したプレーを重ね、全英で長く上位を争った。
1876年、裁定をめぐってデービー・ストラスが延長戦に出場せず、マーティンが優勝者になった。1885年には強風下でアーチー・シンプソンを1打差で破り、今度はスコアで明確に2個目のタイトルを手にした。
セントアンドリュース開催の全英で2勝した最初の選手。1873〜1887年は一度を除いて9位以内に入り、1875年と1887年には2位にもなった。
生涯成績
PGA TOUR認定通算2勝。男子メジャー2勝。1876〜1885年に1種類のメジャーで優勝。
- PGA TOUR認定通算
- 2勝
- 男子メジャー通算
- 2勝
- メジャー優勝大会の種類
- 1大会
公式資料の確認日:
ツアー通算勝利には、そのツアーが認定するメジャー優勝を含みます。メジャー勝利を足し合わせた総勝利数ではありません。一般・シニア・アマチュアの実績は区別しています。 歴史上の選手は、遡及認定を含むツアー通算と公式プロフィール掲載のプロ通算を分けて表示します。
メジャー優勝の内訳
- 全英オープン · 2勝
- 1876年、1885年
PGA TOUR認定通算は2026年公式メディアガイドの歴代一覧に基づきます。ツアー創設前やアマチュア時代の認定勝利を含むため、当時の所属ツアーやプロとしての勝利数を示すものではありません。メジャー通算とは重複するため合算しません。
メジャーでのキャリア
1876年の全英オープンで最初のメジャー優勝。その後も勝利を重ね、1885年の全英オープンまでに通算2勝を挙げた。
大会ごとの実績
最多優勝の大会は全英オープンで2勝(1876・1885年)。優勝したメジャーは1種類。
公式記録に残る通算勝利
PGA TOURの公式歴代勝利一覧では通算2勝と認定されている。歴史上の大会を遡って認定した記録を含み、世界各地の全大会を合計した生涯総勝利数ではない。
キャリア年表
ゴルフ史でたどるキャリア
最初の王者が、15年後にもう一度。
2周を終えた時点で、ウィリー・パークは115打。ボブ・マーティンの114打を追っていた。パークが最後の周回を51打で回り、合計166打で逆転。マーティンには2打差、前年王者の弟マンゴーには5打差をつけた。
1875年のゴルフ史を読む →同点でも、二人は延長戦を戦わなかった。
ストラスとボブ・マーティンは、ともに86・90の176打。ストラスの球が人に当たった件を巡って失格を求める声が上がった。委員会は裁定前にプレーオフを行おうとしたが、ストラスは先に判断を示すよう求め、参加を拒んだ。
1876年のゴルフ史を読む →9年ぶりのマーティン。アマチュアの大会も始まる。
アーチー・シンプソンは最初の18ホールを83打で回り、ボブ・マーティンに1打差をつけた。強まる風の中、午後はマーティンが87打、シンプソンが89打。合計171対172で、マーティンが逆転した。
1885年のゴルフ史を読む →パークの息子が勝つ。16番の砂が分けた勝負。
キャンベルは最後の16番でバンカーにつかまり、脱出に4打を要した。一方、パークはそのホールを3打で通過。後半を79打、合計161打にまとめ、ボブ・マーティンに1打差で初優勝した。
1887年のゴルフ史を読む →
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1876年全英オープンでボブ・マーティンとデービー・ストラスは176打で並び、36ホールのプレーオフが予定された。 ストラスは17番で前組の選手に球を当て、失格の裁定を決定戦前に出すよう求めたが、認められず出場を拒否。 マーティンは予定時刻に一人でコースを歩き、不戦勝で優勝した。
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