ゴルフ史

1887年

パークの息子が勝つ。16番の砂が分けた勝負。

G.フォレスターのドライバーを道具のアイコンに、当時の選手権の勝者と、ゴルフが広がる歩みを振り返る。初代全英王者ウィリー・パークの息子が、同じ名前で王者に。先行したウィリー・キャンベルは、最後の16番のバンカーでつかまった。

この時代のドライバー

G.フォレスターのドライバー。1885年と記録されたG.フォレスターのドライバー。木製ヘッドと首の接合、ホーンの補強が見える館蔵の実物写真。この年の新発売や使用率首位を示すものではない。

G.フォレスターのドライバー。1885年と記録されたG.フォレスターのドライバー。木製ヘッドと首の接合、ホーンの補強が見える館蔵の実物写真。この年の新発売や使用率首位を示すものではない。

選手権を制した主役たち

SEASON LEADERS

確認できる主要選手権の優勝者を掲載。記録のない年間賞金順位や、創設前の大会の勝者は補わない。

  • 英国男子 · オープン選手権

    1887年

    ウィリー・パーク・ジュニア

    全英オープン優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 英国男子 · アマチュア選手権

    1887年

    ホレス・ハッチンソン

    全英アマチュア優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

この時代は年間賞金王の欄を無理に揃えず、主要選手権の勝者で振り返る。全英アマは1885年、全英女子アマは1893年、全米の3選手権は1895年から。オープンとアマチュア選手権を一つのプロメジャー数へ合算しない。全英は1892年、全米オープンは1898年に36ホールから72ホールへ変わる。

当時の主要選手権を見渡す

MAJOR CHAMPIONS

1887年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

英国と米国の選手権、女性の競技、道具と大会の変化。

  1. 年間

    全英オープンはウィリー・パーク・ジュニア

    ウィリー・パーク・ジュニアが全英を制した。本戦36ホールの合計は161打。舞台はプレストウィック。リンクスの風や地形を相手に、その年の王者が生まれた。

  2. 年間

    全英の舞台と、競技の長さ

    プレストウィックで争われた全英は、36ホール。現在の72ホールとは競技の長さが違う。同じ大会名でも、開催地と方式の変化を合わせて読むと時代の違いがわかる。

  3. 年間

    全英アマチュアはホレス・ハッチンソン

    ホレス・ハッチンソンがRoyal Liverpoolで全英アマチュアを制した。決勝結果は1 hole。ホールごとの勝敗を争うマッチプレーだった。オープンの合計打数とは別に、アマチュアの王者をたどる。

  4. 年間

    初代王者の息子も、全英王者に

    ウィリー・パーク・ジュニアが全英を制した。父ウィリー・パークは1860年の初代王者。名前が似ていても父と息子を一人にまとめず、世代をまたぐ優勝として記録する。

  5. 道具

    道具のアイコンは、G.フォレスターのドライバー

    G.フォレスターのドライバー。1885年と記録されたG.フォレスターのドライバー。木製ヘッドと首の接合、ホーンの補強が見える館蔵の実物写真。この年の新発売や使用率首位を示すものではない。この年の選手全員が同じモデルを使った、という意味ではない。

日本のゴルフ

この年の日本の全国選手権や賞金順位は掲載しない。六甲の最初の4ホールは1901年、神戸ゴルフ倶楽部の開場は1903年。日本の競技が育つ節目は、これから訪れる。

    この年を、もう少し深く

    STORIES OF 1887

    午前77打のキャンベルを、5打差で追う。

    プレストウィックのプロになったウィリー・キャンベルは、最初の18ホールを77打で回った。ウィリー・パーク・ジュニアは82打。雨と風の中、午後の終盤までキャンベルが優勢だった。

    砂から出るのに4打。パークは同じホールを3打で。

    キャンベルは最後の16番でバンカーにつかまり、脱出に4打を要した。一方、パークはそのホールを3打で通過。後半を79打、合計161打にまとめ、ボブ・マーティンに1打差で初優勝した。

    父が初めて勝った場所で、息子も。

    父ウィリー・パークは1860年の初代王者で、全英を4度制していた。息子もプレストウィックで勝ち、モリス父子に続く父子の全英王者となった。パーク・ジュニア自身も、2年後にもう一度勝つ。