1876年
同点でも、二人は延長戦を戦わなかった。
ボブ・マーティンとデービー・ストラスは、ともに86・90の176打だった。ストラスがプレーオフを拒み、マーティンが王者となった。二人が打ち合った延長戦で勝った年としては数えない。 ボブ・マーティンとデービー・ストラスが同じ176打。だがルールの裁定を巡る対立が、最初の同点決着を異例の結末にした。
この時代のプレークラブ

1850年頃のD.マキューアンのプレークラブ。木製ヘッドと長いシャフトを備える館蔵品を、この時代のドライバーの源流として紹介する。単年の発売モデルや王者の使用品を示す写真ではない。
この年の全英と、主役たち
SEASON LEADERS年間賞金順位の代わりに、当時の主要選手権とその勝者を紹介する。個別大会の賞金と年間の獲得賞金は区別して読む。
英国男子 · オープン選手権
1876年
全英オープン優勝
セントアンドリュースで36ホールを176打。この大会の優勝者で、年間賞金王の記録ではない。
当時の主要選手権
MAJOR CHAMPIONS1876年に起きたこと
WORLD & JAPAN世界のゴルフ
選手権の勝負と、クラブや道具の歩み。
- 年間
- 年間
人に当たった球と、裁定を巡る対立
ストラスの17番へのアプローチは、グリーンにいた人に当たった。裁定を先に示してほしいストラスと、先に延長戦を進めようとする委員会の意見が折り合わなかった。
- 年間
観客だけでなく、会員もコースにいた
主催者の回顧には、大会中もクラブ会員が自分たちのゴルフを続けていたことが記される。競技のためにコースを専有する現代とは異なる環境が、この年の騒動の背景にあった。
- 道具
飛距離を担った、長い木製クラブ
ティーから遠くへ運ぶ役割を担ったのがプレークラブ。写真は1850年頃のD.マキューアンの館蔵品で、長いシャフトと木製ヘッドを持つ。現代のドライバーへつながる形を、当時の競技の記録と見比べられる。
日本のゴルフ
日本での本格的なクラブの歩みは、1903年の神戸ゴルフ倶楽部の開場へつながる。ここでは、この年に確認できない大会や賞金順位を補わない。
この年を、もう少し深く
STORIES OF 1876大会中も、会員が自分たちのゴルフをしていた。
セントアンドリュースには大勢の観客が集まり、競技中のコースではクラブ会員も自分たちのラウンドを続けていた。デービー・ストラスの17番へのアプローチは、まだグリーンにいた人に当たり、道路まで行かずに止まった。
裁定が先か、プレーオフが先か。
ストラスとボブ・マーティンは、ともに86・90の176打。ストラスの球が人に当たった件を巡って失格を求める声が上がった。委員会は裁定前にプレーオフを行おうとしたが、ストラスは先に判断を示すよう求め、参加を拒んだ。
マーティンが、一人でコースを回る。
結局、二人が打ち合う延長戦は行われなかった。マーティンが一人でコースを回り、王者と認められた。前年は2打差の2位。この年の初優勝には、スコア表の首位タイだけでは分からない経緯が残った。