1875年
最初の王者が、15年後にもう一度。
ウィリー・パークが166打で勝利。1860年の第1回優勝から15年が過ぎても、再び全英の先頭に立った。通算4勝で、オールド・トム・モリスに並んだ。 1860年に初代王者となったウィリー・パーク。プレストウィックで最後の周回に逆転し、自身4度目の優勝を手にした。
この時代のプレークラブ

1850年頃のD.マキューアンのプレークラブ。木製ヘッドと長いシャフトを備える館蔵品を、この時代のドライバーの源流として紹介する。単年の発売モデルや王者の使用品を示す写真ではない。
この年の全英と、主役たち
SEASON LEADERS年間賞金順位の代わりに、当時の主要選手権とその勝者を紹介する。個別大会の賞金と年間の獲得賞金は区別して読む。
英国男子 · オープン選手権
1875年
全英オープン優勝
プレストウィックで36ホールを166打。この大会の優勝者で、年間賞金王の記録ではない。
当時の主要選手権
MAJOR CHAMPIONS1875年に起きたこと
WORLD & JAPAN世界のゴルフ
選手権の勝負と、クラブや道具の歩み。
- 年間
初代王者が、15年後に4勝目
ウィリー・パークが166打で勝利。1860年の第1回優勝から15年が過ぎても、再び全英の先頭に立った。通算4勝で、オールド・トム・モリスに並んだ。
- 年間
- 年間
ヤング・トムの歩みは、24歳で終わる
ヤング・トム・モリスと父はこの年の全英を欠場。若い王者は同年のクリスマスに24歳で亡くなった。開かれた4大会を連続で制した実績は、全英の歴史に残った。
- 道具
飛距離を担った、長い木製クラブ
ティーから遠くへ運ぶ役割を担ったのがプレークラブ。写真は1850年頃のD.マキューアンの館蔵品で、長いシャフトと木製ヘッドを持つ。現代のドライバーへつながる形を、当時の競技の記録と見比べられる。
日本のゴルフ
日本での本格的なクラブの歩みは、1903年の神戸ゴルフ倶楽部の開場へつながる。ここでは、この年に確認できない大会や賞金順位を補わない。
この年を、もう少し深く
STORIES OF 18751打を追って、最後の12ホールへ。
2周を終えた時点で、ウィリー・パークは115打。ボブ・マーティンの114打を追っていた。パークが最後の周回を51打で回り、合計166打で逆転。マーティンには2打差、前年王者の弟マンゴーには5打差をつけた。
第1回から15年。通算4度目の優勝。
パークは1860年、1863年、1866年に続く4勝目。初優勝から15年、前の優勝から9年が過ぎていた。最初の大会を制した選手が、変わり続ける全英で再び先頭に立った。
この年、モリス父子の姿はなかった。
大会直前、ヤング・トムは妻と子を亡くしていた。父子はともに全英を欠場。そしてクリスマスの日、ヤング・トム自身も24歳で亡くなった。4度全英を制した若い王者の歩みは、ここで途切れた。