ゴルフ史

1864年

優勝賞金は6ポンド。モリス、3度目の王者へ。

オールド・トム・モリスは54・58・55の167打。アンドリュー・ストラスが169打で続き、勝負は2打差で決まった。 全英で勝った人に賞金が渡る。大会は少しずつ形を変え、オールド・トムは4年間で3度目の優勝を果たした。

この時代のプレークラブ

1850年頃のD.マキューアンのプレークラブ。木製ヘッドと長いシャフトを備える館蔵品を、この時代のドライバーの源流として紹介する。単年の発売モデルや王者の使用品を示す写真ではない。

1850年頃のD.マキューアンのプレークラブ。木製ヘッドと長いシャフトを備える館蔵品を、この時代のドライバーの源流として紹介する。単年の発売モデルや王者の使用品を示す写真ではない。

この年の全英と、主役たち

SEASON LEADERS

年間賞金順位の代わりに、当時の主要選手権とその勝者を紹介する。個別大会の賞金と年間の獲得賞金は区別して読む。

  • 英国男子 · オープン選手権

    1864年

    オールド・トム・モリス

    全英オープン優勝

    プレストウィックで36ホールを167打。この大会の優勝者で、年間賞金王の記録ではない。

プレストウィックで12ホールを3周する36ホールの全英。現在の72ホールと同じ打数の基準で比べない。全英アマチュアは1885年、全英女子アマは1893年から。創設前の大会や未確認の年間賞金順位は並べない。

当時の主要選手権

MAJOR CHAMPIONS

1864年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

選手権の勝負と、クラブや道具の歩み。

  1. 年間

    オールド・トムが3勝目、ストラスが2位

    オールド・トム・モリスは54・58・55の167打。アンドリュー・ストラスが169打で続き、勝負は2打差で決まった。

  2. 年間

    優勝賞金6ポンドが用意される

    前年の均等分配から変わり、15ポンドの賞金総額のうち、優勝したモリスには6ポンドが渡った。これは大会の優勝賞金で、年間賞金王を示す金額ではない。

  3. 年間

    イングランド西岸にも、ゴルフクラブ

    ウェストワード・ホーでは1864年にゴルフクラブが設立された。現在のロイヤル・ノース・デヴォンにつながるクラブの歴史は、スコットランド以外へ広がるゴルフを伝えている。

  4. 年間

    コースを守る仕事も、次の時代へ

    モリスはこの年を最後にプレストウィックの管理の仕事を離れ、セントアンドリュースへ戻った。後を継いだストラスは、翌年の全英で勝者になる。

  5. 道具

    飛距離を担った、長い木製クラブ

    ティーから遠くへ運ぶ役割を担ったのがプレークラブ。写真は1850年頃のD.マキューアンの館蔵品で、長いシャフトと木製ヘッドを持つ。現代のドライバーへつながる形を、当時の競技の記録と見比べられる。

日本のゴルフ

日本での本格的なクラブの歩みは、1903年の神戸ゴルフ倶楽部の開場へつながる。ここでは、この年に確認できない大会や賞金順位を補わない。

    この年を、もう少し深く

    STORIES OF 1864

    54、58、55。モリスが勝ち切る。

    12ホールを3周して167打。オールド・トム・モリスは、アンドリュー・ストラスの169打を2打上回った。前年王者ウィリー・パークは2周目に67打を要し、優勝争いから離れた。

    賞金を分ける大会から、勝者に報いる大会へ。

    前年の10ポンドは、8人のプロに均等に分配された。この年は賞金総額が15ポンドとなり、優勝者モリスに6ポンドが渡った。全英で初めて、勝つことに対する賞金が用意された。

    プレストウィックから、セントアンドリュースへ。

    モリスはこの年を最後にプレストウィックのコース管理の仕事を離れ、セントアンドリュースへ戻った。翌年には、その仕事を引き継いだストラスが全英の王者になる。