1865年
スコアカードが登場。王者の名前も変わる。
それまでの全英はオールド・トム・モリスとウィリー・パークが勝ち分けていた。アンドリュー・ストラスが162打で勝ち、初めて別の名前が優勝者に加わった。 モリスでもパークでもない、初めての王者。アンドリュー・ストラスが勝った大会には、印刷された公式スコアカードも登場した。
この時代のプレークラブ

1850年頃のD.マキューアンのプレークラブ。木製ヘッドと長いシャフトを備える館蔵品を、この時代のドライバーの源流として紹介する。単年の発売モデルや王者の使用品を示す写真ではない。
この年の全英と、主役たち
SEASON LEADERS年間賞金順位の代わりに、当時の主要選手権とその勝者を紹介する。個別大会の賞金と年間の獲得賞金は区別して読む。
英国男子 · オープン選手権
1865年
全英オープン優勝
プレストウィックで36ホールを162打。この大会の優勝者で、年間賞金王の記録ではない。
当時の主要選手権
MAJOR CHAMPIONS男子の主要選手権
- 年間
1865年に起きたこと
WORLD & JAPAN世界のゴルフ
選手権の勝負と、クラブや道具の歩み。
- 年間
ストラスが、二人の王者の間へ入る
それまでの全英はオールド・トム・モリスとウィリー・パークが勝ち分けていた。アンドリュー・ストラスが162打で勝ち、初めて別の名前が優勝者に加わった。
- 年間
印刷したスコアカードを使う
この年、全英で初めて公式のスコアカードが印刷された。手近な紙に記録する段階から、競技の打数を一定の形で残す仕組みへ進んでいった。
- 年間
14歳のヤング・トムが、初めての全英へ
ヤング・トム・モリスは14歳147日で初出場。2周をプレーした後に棄権したが、3年後にはこの大会を制することになる。
- 道具
飛距離を担った、長い木製クラブ
ティーから遠くへ運ぶ役割を担ったのがプレークラブ。写真は1850年頃のD.マキューアンの館蔵品で、長いシャフトと木製ヘッドを持つ。現代のドライバーへつながる形を、当時の競技の記録と見比べられる。
日本のゴルフ
日本での本格的なクラブの歩みは、1903年の神戸ゴルフ倶楽部の開場へつながる。ここでは、この年に確認できない大会や賞金順位を補わない。
この年を、もう少し深く
STORIES OF 186555、54、53。回るたびに1打ずつ縮める。
アンドリュー・ストラスはプレストウィックで、モリスの後を継いでコース管理を担っていた。2周を終えた時点ではパークが1打リード。最後を53打で回ったストラスが逆転し、合計162打で初優勝した。
手近な紙から、公式のカードへ。
この大会では、全英で初めて公式スコアカードが印刷された。それまでは記録係が手元の紙に打数を書き留めていたという。
14歳のヤング・トムが、初めて出場する。
オールド・トムの息子ヤング・トム・モリスは、14歳147日で全英初出場。60打、57打で回った後、最後の周回を棄権した。17歳で初優勝するのは、この3年後のことだった。