1878年
二つの「7」から、ホールインワンで連覇へ。
ジェイミー・アンダーソンが53・53・51の157打。ボブ・カークは159打で2位となり、2打差で王者が決まった。 最終周回の出だしは7打、7打。それでもアンダーソンは立て直した。西海岸では、トゥルーンのゴルフクラブが生まれた。
この時代のプレークラブ

1850年頃のD.マキューアンのプレークラブ。木製ヘッドと長いシャフトを備える館蔵品を、この時代のドライバーの源流として紹介する。単年の発売モデルや王者の使用品を示す写真ではない。
この年の全英と、主役たち
SEASON LEADERS年間賞金順位の代わりに、当時の主要選手権とその勝者を紹介する。個別大会の賞金と年間の獲得賞金は区別して読む。
英国男子 · オープン選手権
1878年
全英オープン優勝
プレストウィックで36ホールを157打。この大会の優勝者で、年間賞金王の記録ではない。
当時の主要選手権
MAJOR CHAMPIONS男子の主要選手権
- 年間
1878年に起きたこと
WORLD & JAPAN世界のゴルフ
選手権の勝負と、クラブや道具の歩み。
- 年間
157打、アンダーソンが連覇
ジェイミー・アンダーソンが53・53・51の157打。ボブ・カークは159打で2位となり、2打差で王者が決まった。
- 年間
苦しい出だしから、一打で流れを戻す
最後の周回を7打、7打と始めながら、アンダーソンはその後にショットを直接入れ、さらに11番でホールインワンを記録した。最後の12ホールは51打でまとめた。
- 年間
トゥルーンのコースづくりが始まる
トゥルーン・ゴルフクラブが設立された。プレストウィックのチャールズ・ハンターも初期のコースづくりに助言し、海辺に少数のホールを設けるところから歩みが始まった。
- 道具
飛距離を担った、長い木製クラブ
ティーから遠くへ運ぶ役割を担ったのがプレークラブ。写真は1850年頃のD.マキューアンの館蔵品で、長いシャフトと木製ヘッドを持つ。現代のドライバーへつながる形を、当時の競技の記録と見比べられる。
日本のゴルフ
日本での本格的なクラブの歩みは、1903年の神戸ゴルフ倶楽部の開場へつながる。ここでは、この年に確認できない大会や賞金順位を補わない。
この年を、もう少し深く
STORIES OF 18789番で直接入り、11番は一打で入る。
プレストウィックでジェイミー・アンダーソンは、最初の2周を53打ずつで回った。最後の周回は7打、7打と苦しい出だし。それでも9番でアイアンのショットを直接入れて3打とし、11番ではグリーン奥の斜面から転がった球がカップに入った。
最後は51打。2打差で連覇する。
アンダーソンは最後の12ホールを51打で回り、合計157打。ボブ・カークに2打差をつけ、前年に続く全英優勝を決めた。ホールインワンは、出だしで崩れかけた勝負を立て直す一打でもあった。
海辺の荒れ地から、トゥルーンが始まる。
同じ年、現在のロイヤル・トゥルーンにつながるトゥルーン・ゴルフクラブが設立された。初期のコースづくりには、プレストウィックのコース管理人チャールズ・ハンターが助言。低木の茂る海辺の土地に、5〜6ホールを設けるところから始まった。