1879年
三つの会場を制した、アンダーソンの3連覇。
ジェイミー・アンダーソンが84・85の169打。アンドリュー・カーカルディとジェイミー・アランが172打で2位に並び、王者は3打差で勝った。 マッセルバラ、プレストウィック、そしてセントアンドリュース。会場が変わっても、勝者は3年続けて同じだった。
この時代のプレークラブ

1850年頃のD.マキューアンのプレークラブ。木製ヘッドと長いシャフトを備える館蔵品を、この時代のドライバーの源流として紹介する。単年の発売モデルや王者の使用品を示す写真ではない。
この年の全英と、主役たち
SEASON LEADERS年間賞金順位の代わりに、当時の主要選手権とその勝者を紹介する。個別大会の賞金と年間の獲得賞金は区別して読む。
英国男子 · オープン選手権
1879年
全英オープン優勝
セントアンドリュースで36ホールを169打。この大会の優勝者で、年間賞金王の記録ではない。
当時の主要選手権
MAJOR CHAMPIONS男子の主要選手権
- 年間
1879年に起きたこと
WORLD & JAPAN世界のゴルフ
選手権の勝負と、クラブや道具の歩み。
- 年間
169打で、アンダーソンが3連覇
ジェイミー・アンダーソンが84・85の169打。アンドリュー・カーカルディとジェイミー・アランが172打で2位に並び、王者は3打差で勝った。
- 年間
9、12、18ホール。異なる舞台での連勝
マッセルバラ、プレストウィック、セントアンドリュースと、3年続けて違うコースで優勝した。各年の合計は36ホールだが、一つの周回の長さも、向き合う地形も異なっていた。
- 年間
球へ歩く間に、次のクラブを決める
主催者の回顧は、アンダーソンが球へ近づきながらクラブを選び、着くと素早く構えて打ったと伝える。3連覇の記録には、プレーの運び方も描かれている。
- 道具
飛距離を担った、長い木製クラブ
ティーから遠くへ運ぶ役割を担ったのがプレークラブ。写真は1850年頃のD.マキューアンの館蔵品で、長いシャフトと木製ヘッドを持つ。現代のドライバーへつながる形を、当時の競技の記録と見比べられる。
日本のゴルフ
日本での本格的なクラブの歩みは、1903年の神戸ゴルフ倶楽部の開場へつながる。ここでは、この年に確認できない大会や賞金順位を補わない。
この年を、もう少し深く
STORIES OF 187984打と85打。2位の二人に3打差。
セントアンドリュースの36ホールを、ジェイミー・アンダーソンは84・85で回った。合計169打。アンドリュー・カーカルディとジェイミー・アランが172打で並び、アンダーソンは3打差で勝った。
同じ場所での連覇とは、違う三つの勝利。
1877年は9ホールのマッセルバラ、1878年は12ホールのプレストウィック、この年は18ホールのセントアンドリュース。いずれも競技は36ホールだが、コースも回り方も異なった。その三つでアンダーソンが続けて優勝した。
クラブを決めてから、球へ近づく。
大会公式の回顧には、アンダーソンが次のクラブを選びながら歩き、球のそばに着くと素早く構え、旗を一度見て打ったと記されている。3連覇した選手の姿が、スコアだけでなくプレーの手順にも残っている。