1880年
地元のファーガソン。パターの名手が王者に。
ボブ・ファーガソンが前半も後半も81打の162打で勝った。2位ピーター・パクストンには5打差。ここから1882年まで続く3連覇が始まる。 マッセルバラで8歳からキャディーをしていたボブ・ファーガソン。知り尽くした9ホールで、初めて全英の頂点に立った。
この時代のプレークラブ

1850年頃のD.マキューアンのプレークラブ。木製ヘッドと長いシャフトを備える館蔵品を、この時代のドライバーの源流として紹介する。単年の発売モデルや王者の使用品を示す写真ではない。
この年の全英と、主役たち
SEASON LEADERS年間賞金順位の代わりに、当時の主要選手権とその勝者を紹介する。個別大会の賞金と年間の獲得賞金は区別して読む。
英国男子 · オープン選手権
1880年
全英オープン優勝
マッセルバラで36ホールを162打。この大会の優勝者で、年間賞金王の記録ではない。
当時の主要選手権
MAJOR CHAMPIONS1880年に起きたこと
WORLD & JAPAN世界のゴルフ
選手権の勝負と、クラブや道具の歩み。
- 年間
地元のファーガソンが、初優勝
ボブ・ファーガソンが前半も後半も81打の162打で勝った。2位ピーター・パクストンには5打差。ここから1882年まで続く3連覇が始まる。
- 年間
4連覇を狙うはずの選手が欠場
前年まで3連覇したジェイミー・アンダーソンは、この大会に出場できなかった。開催日は4月で、日程の通知が遅かったことを主催者の回顧が伝えている。
- 年間
グリーンの外からも、転がして寄せる
ファーガソンはパターの名手で、グリーン外からのランニングアプローチも得意だった。その打ち方が「マッセルバラ・アイアン」と呼ばれたことは、当時の道具の使い分けを伝えている。
- 道具
飛距離を担った、長い木製クラブ
ティーから遠くへ運ぶ役割を担ったのがプレークラブ。写真は1850年頃のD.マキューアンの館蔵品で、長いシャフトと木製ヘッドを持つ。現代のドライバーへつながる形を、当時の競技の記録と見比べられる。
日本のゴルフ
日本での本格的なクラブの歩みは、1903年の神戸ゴルフ倶楽部の開場へつながる。ここでは、この年に確認できない大会や賞金順位を補わない。
この年を、もう少し深く
STORIES OF 18802番で8打。それでも、優勝争いに戻る。
ボブ・ファーガソンはマッセルバラで育ち、8歳からこのコースのキャディーをしていた。この全英では序盤の2番で球が道路へ行き、電柱にも当たって8打。それでも最初の9ホールを40打で回った。
81打ずつの前半と後半で、5打差。
続く9ホールは41打、39打、42打。18ホールごとでは81打と81打、合計162打だった。2位ピーター・パクストンに5打差で初優勝。前年まで3連覇したアンダーソンは、4月開催の短い通知では参加できなかった。
グリーンの外からも、パターで転がす。
ファーガソンは、グリーンで球を転がすクラブ、パターの名手だった。大会公式の人物紹介によれば、グリーン外から転がして寄せるその打ち方は「マッセルバラ・アイアン」と呼ばれたという。翌1881年、1882年にも勝ち、ここから自身の3連覇が始まる。