1881年
最後まで回ったのは8人。嵐の全英。
ボブ・ファーガソンが170打、ジェイミー・アンダーソンが173打。前年のマッセルバラに続き、プレストウィックでも3打差で勝った。 強風、雨、みぞれ、雪。22人が出場したプレストウィックで、ボブ・ファーガソンが連覇を果たした。
この時代のプレークラブ

1850年頃のD.マキューアンのプレークラブ。木製ヘッドと長いシャフトを備える館蔵品を、この時代のドライバーの源流として紹介する。単年の発売モデルや王者の使用品を示す写真ではない。
この年の全英と、主役たち
SEASON LEADERS年間賞金順位の代わりに、当時の主要選手権とその勝者を紹介する。個別大会の賞金と年間の獲得賞金は区別して読む。
英国男子 · オープン選手権
1881年
全英オープン優勝
プレストウィックで36ホールを170打。この大会の優勝者で、年間賞金王の記録ではない。
当時の主要選手権
MAJOR CHAMPIONS1881年に起きたこと
WORLD & JAPAN世界のゴルフ
選手権の勝負と、クラブや道具の歩み。
- 年間
嵐に耐えた、ファーガソンの2勝目
ボブ・ファーガソンが170打、ジェイミー・アンダーソンが173打。前年のマッセルバラに続き、プレストウィックでも3打差で勝った。
- 年間
22人のうち、最後まで回ったのは8人
強風と雨、雪も交じる悪天候となった。記録係がそろわず、開始も遅れた大会で、競技を終えたのは22人のうち8人。天候そのものが大きな試練だった。
- 年間
ベルファストでは、9ホールの競技が始まる
夏にコースづくりが進み、キネガーの9ホールで12月26日に最初の競技が行われた。現在のロイヤル・ベルファストにつながるクラブで、「ロイヤル」の称号を得るのは1885年だった。
- 道具
飛距離を担った、長い木製クラブ
ティーから遠くへ運ぶ役割を担ったのがプレークラブ。写真は1850年頃のD.マキューアンの館蔵品で、長いシャフトと木製ヘッドを持つ。現代のドライバーへつながる形を、当時の競技の記録と見比べられる。
日本のゴルフ
日本での本格的なクラブの歩みは、1903年の神戸ゴルフ倶楽部の開場へつながる。ここでは、この年に確認できない大会や賞金順位を補わない。
この年を、もう少し深く
STORIES OF 1881記録係がそろわず、スタートが遅れる。
10月の嵐がプレストウィックを襲った。強い風に雨やみぞれ、雪まで交じり、選手に付き添う記録係をそろえるため、開始は1時間半遅れた。出場した22人のうち、競技を終えたのは8人だった。
最初の53打で、4打のリード。
前年王者ボブ・ファーガソンは、最初の12ホールを53打で回った。2周目は60打、最後は57打で、合計170打。ジェイミー・アンダーソンに3打差をつけて勝った。
戻ってきたアンダーソンを破る。
アンダーソンは1877〜1879年の王者で、前年は欠場していた。この年は2位。ファーガソンは、地元マッセルバラでの初優勝に続き、プレストウィックでも全英を制した。